◆◆◆ 1231 ★ 近代美術館常設展 ◆◆◆

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2008.10.14.更新

ドローイングやムービーを堪能したあと、常設展に回る。

近代美術館の人は、よく入れ替えをしていて、本当に頑張っていると思う。

この前テレビで松本俊介の絵を見たから、今日はきっと展示されていると思い、楽しみに回る。

おおっ。これがグレージングだよ。

と思ったら、となりに愛雲蜜(あいみつ)のメダマの絵が並んでいたため、撃沈。

アイミツの絵に、いつまでも引き込まれていた。

画力というものは、そういうものなのだ。

別に、マツモトさんの絵が悪かったということではない。たまたま、置かれた場所が悪かったということである。

もう一つ立派だなと思うことは、やはり、所蔵作家さんの知名度を上げ続けているという活動である。

もし、近代美術館に作品が所蔵されなかったら、彼らはこんなに有名にはならなかった。

そういう作家さんもゴロゴロ。

今となっては、この程度の絵を描く人は、何十万人もいるという感じ。

先駆的な役割を果たした人達の作品を集めたということもあると思うし、まあ、それだけでもなかったと思う。

現代美術館と比較して、駅から至近という好感度。

いくつかの小部屋に分かれた間取りも、個々の作家さんをクローズアップするのに上手く使われていると思う。

現代美術館は、現代美術館で、大型の作品の展示にはマッチしている。

適材適所みたいな話なんだと思う。

歴史的な違いもあるし、現代系は今だ、受け入れられない伝統蒐集の人も多いからね。

まあ、ある意味、理解できる部分もある。

それぐらい、現代作品が荒れているのだから、仕方ないのだ。

そうして、アタシは、ギャラリーとして、一体作家さんに何をしてあげられるのかとか、

自分はどうなれば、美術館で展示されるような作家になれるのかとか

をぼんやりと考えながら、先達の名画に囲まれて時を過ごした。

知人の画家は、『美術館は絵の墓場』と言い、ある人は、『自分の絵の行き着く先は、美術館しか無い』

と言った。

個人的には、自分の作品は収集家筋に持ってもらいたい。

それが、絵のためだからである。

でもまあ、美術館が間口という収集家がいないわけでもない。

その辺が、蒐集の奥深さなのだ。

画廊が窓口という人だけではないという事になる。

美術館の(個人の作家の)展示品を丸ごとご購入というご予算の方だって、この世の中には存在するらしい。

最近は、コレクターをターゲットにした雑誌も出版され、相場観というのが随分とオープンになってきたと思う。

別に、相場を知ることが蒐集の醍醐味ではない。

相場を知り、それよりも破格の安さでゲットした品を自慢するというのが、一番楽しい時間である。笑。

そういう意味では相場情報というのは、購入決断の有力な切り札ではある。

そういう理由で、イロイロな場所に足を運んだり、掘り出し物狙いで、オークションに行ったりもするわけなのだ。

所が、金がある人は、相場以上にせりあげたりするから困る。笑。

市場が潤うのだから、それはそれで、商業的にはオッケー。誰も困らない。ただ、換金しようと思ったときに、本来の相場にまで引き下がってしまう場合が多いので、結局は、高値で買った人だけが損をするという構図。

誰も困らない。だから、オッケーなのである。

クレアのお婆ちゃん(→この人がアタシの知人)が、アタシが粘土作品を作っている姿を見て、

『アタシの子供の仕事は、歳を取るとできなくなるけど、リカちゃんの仕事は、歳を取れば取るほど良くなっていくわけで、いいよね』

とポツリと言った。

造形というのは、基本的な素描の力に比例していると思う。

新しい奈良美智さんの作品の、力の上がり具合にアタシは満足だった。アタシも頑張って描き続ければ、きっと、もっと良い作品が作れるに違いない。

おじゃら画廊

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