◆◆◆ 1189 ★ 「ばらの助」ちゃん ◆◆◆

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2008.7.28.更新

先日、外国人が、ギャラリーの前を通る。

絵の具BOXを持っているように見えた。

そうして、通り過ぎた後、まだ、遠くからこちらを見ていたので、「私の絵を見てってよ」

と、声をかける。

そうすると、彼は、また戻ってきて、そうして、中に入ることに決めたようだった。

画家らしき彼は、昔は建築士だったと名乗り、今日描いた、千住の飲み横の風景のイラストを見せてくれた。

おおっ。イイ絵だぜ。

絵を見れば、その人の気持ちが、作品から伝わってくる。

彼とは、イロイロな話をしたが、最も笑えた話をいくつかご紹介しようと思う。

まず、最初に、

バラノスキ ミハエル

という名刺を渡される。

そうして、アタシが、「バラちゃんね」

などと呼ぶと、「僕のファーストネームは、ミハエルだから、ミハエルと呼んでくれ」

という頑張り具合。

オジャラ「あのねー、日本人には、ファミリーネームも、ファーストネームも関係ないの。大事なのは、覚えてもらうことなの。ミハエルという言葉はね、日本語じゃないからさ、それを覚えられる日本人はそう多くないの。」

アタシは、彼の名刺を暫く眺め、そうして、メモ用紙に、

「ばらの助」

と書いてみた。

カンペキ。

そうして、愛される外人になるために、日本語名を「ばらの助」と命名し、「ミハエル」とか、「バラノスキ」を覚えてもらうことは諦めるように説得。

ミエハルなどという名前もないわけでもないが、変な顔が浮かんできて、どうにもオススメすることはできなかった。

彼は、二階に置いてあったアタシの書に、いたく感動したようだった。

「あの書は、誰が描いたんだ?」

この展覧会は、アタシの展覧会だからさ、ほとんどはアタシが作ってるんだよね。書はアタシのだよ。

などと話すと、彼は、書を習っているという話を始めるのだった。

そうして、やっぱり、どんな筆で描いているのかという話になり、毛糸筆講習をしなければならなくなる。

彼が、まさに、ゴミのような毛糸を机の上に山盛りにし、筆作りをしているときに、善養寺さんが入ってきたのには、本当に笑ってしまった。彼も同じように爆笑し、毛糸筆の信者が、又増えたのである。

アタシは、善養寺さんが捨てていった、毛糸筆書道の習作を、冊子にまとめたテキストブックを取り出して、書の自由さや、進化について説明もする。

濃いわぁ。

それから、縮墨の作り方を教えてあげた。そのあと、別な紙に、裏打ちする方法も教えたりもする。

ばらの助「僕は、建築関係の仕事に携っていたから、何かの紙に、別な紙を貼り付けるという技術がとても高いから、きっと、キミよりも、ずっと上手く、貼れる確信がある」

などと述べ、

「ロシアに帰っても、書を広めたい。」と言い残し、ギャラリーを後にした。

ギャラリーには、アーティストも沢山訪ねてくるようになっている。

創作者同士の悩みや、技法の交換、尊敬しているアーティストの話や、そういう方の作った作品についての情報を教えてもらったりもする。

彼とは、もう一つ、重要な話をした。

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