◆◆◆ 1180 ★ 片岡球子の番組 ◆◆◆
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2008.7.23.更新 |
また大規模な展覧会があるのか、球子センセイの番組が流れていた。 火山を眺めながら、10号のカンバスを見開きにして、いきなり油性の太いマジックでスケッチをしているという映像は、以前にも見たことがあった。 今回は、もう少し放映時間が長く、その、油性マジックで塗りつぶした黒や青の面を、白や赤などの別の色で、塗る場面も拝ませていただいた。 ポスカラに指突っ込んで、それで、いきなり描画だもんね。 確かに、日本画は、そうやって描くこともあるかもしれないけどさ、山頂だよ。 というように、彼女が絵を描いている姿は、本当に勉強になる。 アタシは、Kさんにも、「片岡球子はね、写真を見ながら絵を描いたりしなかったんだって」などという補足の話をする。 そういえば、ゴッホも、「被写体を目の前に置かなくても、(頭の中の創造で)絵を組み立てて描くことが出来なければダメだ」 などと、ダメだしされたという話が残されている。 それから、何も見ないで作品を作ってみたという習作も残されている。 でも、結局は、ゴッホは、被写体を写生するというところから、離れられない画家であった。(それは、作家としては、実はついていないのである) まあ、出来上がった結果が、ミレーの絵の模写とは、誰も思わないからさ、あれはあれで、ある種の才能だとは思う。 |
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そうして、小林古径センセイに呼ばれ、 アナタの絵はゲテモノだけど、、、、、、という話がまた再現される。 いつか、それを変えたいと思う日が来るから、そのときまで描き続けろ。 という助言。 「それを変えたい」という「それ」とは、 『前田 青邨や、古径のような、拡張高い、美しい描画の力が支える古来の日本画(画壇入選/人真似)を目指している、その気持ちを、(→自分の絵を描こう)と、変えたとき』 を指しているのだとアタシは理解している。 日本画の目指している世界というのは、どこまでも格調高く、厳しい鍛錬の上に積み重なった作品である。 それでも、それとは別な世界を彼女が築けることを古径他、一流のセンセイは、見抜いていたということになる。 本来の創作者であれば、自分の画風を弟子に押し付けたりはしない。 その人にしか作れない作品を追求させる方向に、導くことこそ、師のたった一つの仕事なのである。 作家自身も、『自分にしか作れない作品』を目指すという場所がゴールであることに気づいたその日から、画家の絵になるである。 嫌まあ、結果が残せるのかどうかは、全く別な話よ。 |
この頃のバラは、なんだか、バラらしかったね。 いい絵だったけど、なかなか売れなかった。 |
作家としての結果って、何だろう。 美術館で展覧会をすることなのか? オークションで値上がりすることなのか? 絵を売って、生計を立てられることなのか? 後世に認められる絵を残すことなのか? アートのマーケットを研究していて思うことは、絵の価値というのは、一体何だろうという「?」だけである。 画廊になることにより、作家との力関係というのも理解できてきた。 画廊の力量が、作家の全てを牛耳るということである。 なるほどね。 アートマーケットの研究家としては、ギャラリー経営は間違っていなかったと思う。笑。 研究かいっ? 画廊主として、作家にしてあげられることは、ダメな絵はダメと言ってあげることだ。 そうしないと、作家は、いつまでも、自分の絵に慢心し、絵が良くならないからである。 |
新聞を見ながら描いた、芥川龍之介のスケッチ。 あまり似ていなかった。(2003年ごろ/行く方知れず) |
ウチの画廊の搬出日なんて、スゴイよなあ。 皆さん搬出準備が終了した感じの場面で皆を集めてね、 オジャラ「皆さんね、原価(出展費用)は回収できたのかしらね。ウチは画廊なんだからね、売れる絵を描いてきてくれる? 売るつもりがないのであれば、出さないで。 絵が売れないのはね、絵が悪いからなの。 いい絵は必ず売れるの。 だからね、自分の描きたい絵はそれはそれで作ってね、見る人が心を動かして、買いたくなる絵というのも研究して、そういうのも作っておいてね。 それからね、ウチの画廊はね、アナタの絵を売ってあげたりはしないの。自分の絵はね、自分で留守番して、自分で売ってね。今回から、手数料無しにしたからね、売れば、全額自分の儲けなのよ。」 キッパリ という「カァーツ」(日曜朝のニュース風に)の一声で終わるのだ。(本当) 私なりのスタイルになってきたということだと思う。 厳しい言葉だけど、画廊で展覧会をするというのに、作品を売る気がないということそのものが、もう、意味がない。 売る気がないのであれば、ギャラリーで展覧会をする必要がない。 そういう、強い気持ちも無いと、世には出られないということのようだ。 画廊業って、勉強になるわね。 |
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