◆◆◆ 1137 ★ 新作油彩 ◆◆◆

 

2008.5.4.更新

余り絵の具で描いたギャル。

今日は、留守番の人が来てくださり、気合を入れてアトリエに絵を描きに行く。

まあ、毎日、何かしらはギャラリーで作っているのだが、やはり、油彩を描きたいと強く思っている。

別段、最近は売れるということでもないが、それでも、いい作品だけは手を離れてゆくので、なんとか、売れ筋も作らなければという決意。

相談を受けて、「平山郁夫のラクダ」の話を思い出す。

人から受けた相談ではあったが、ラクダで買いたい人の層を広げたというのは間違いではない。

そういう、アートに初心な人の心でも、持ちたいと思わせる解りやすさ。

ここは、重要なポイントだということになる。

山本容子にしてみたって、有名絵画のパクリから、音楽家の肖像画まで、幅広くヤバイ筋ギリギリの作品を発表しながら、自分の作品は、収集家に売っているというしたたかさ。

勉強になるぜ。

成功事例に学ぶのはマーケティングのセオリーである。

ゴールに向かい、今ある問題をセオリーにすりあわせてゆく作業というのが、実は、ストラテジーとなり、ある程度の柔軟な応対というのが不可欠である。

来る方によっては、「人に頼まれた絵など描けません」とか、「花の絵は描けません」

などという話をして帰る。

別に、アナタが趣味で絵を描いているのであれば、薔薇の絵など、描く必要などないのだが、もし、画家として、絵を売りながら生きるということがゴールなのであれば、どんな絵でも描けるというのが必須能力ということになる。

次々と、イロイロな人がアタシを訪ねてくるものだと思い、その事にも関心するが、画家という職業は、全く持って、曖昧で行く先のぼんやりしたものだと思わされる。

売り画廊なんかを見て歩いていると、作家さんの資質というのが理解できる。

それなりの安定感のある作品を、物凄い速さで、大量に作れなければならないのである。

ほとんどの作家さんは、まず、この、最低限の数的話と、クオリティの部分で脱落しているというのが、客観的な評価である。

嫌まあ、いいの。ウチは貸し画廊だからさ、楽しければいいの。

一生懸命描かれた作品を見ると、こちらも頑張ろうと思わされる。

でもまあ、もし、画家を目指すのであれば、「一枚の絵」の雑誌や画廊など参考にすべきではないと思う。

あの話にも驚くが、売り画廊の1件も知らない人が、画家になろうと考えていることそのものが間違っている。

少し、ギンザに通えば、自分の力がどれほど不足しているのかは明白なのだ。

まあいいかぁ。人の力の話などしても仕方が無い。

自分の作品の力を上げることだけが、新たなる光の筋を作るのである。

さすがにアトリエには、描きかけで、仕上げの一筆を待っている作品が大量に乾燥していた。

ああ、今年来たのは、確か3回目。

そのうち一回は、職場体験だったため、5月だというのに、2回しか、ちゃんとした絵を描いていないということになる。

これでは、画家を目指しているどころか、趣味以下である。

左の絵には、顔を描き入れたいとは思っている。

収集家のSさんの肖像画も出来上がる。

なかなか似ているので笑ってしまう。

肖像画というのは、最低限似ているというのが大切だ。

アタシが殿方を描くというのは、物凄く珍しい。

昔は美少年でしたという面影はある。

こちらは、勝手に絵を描くわけで、描かれた人は、出来上がった絵を見ると驚くみたい。笑。

誰でもを描きたいと思うわけでもない。

生きるということに、強い意志を感じる人たちを、私は描きたいと思うのである。

おじゃら画廊

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