◆◆◆ 1131 ★ 新作 陶芸作品 ◆◆◆
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2008.4.29.更新 |
日本イラストレーター協会の、会報の原稿というのを作る。 そうして、自分の作品も載せなければならないので、どの作品にするか、写真を選ぶ。 げげ。現代アート作品しかないじゃない。 という状態。 協会展には、毎年、現代作品も1点出すことにしている。 はぁ。 どれにするのか迷うよなあ。 忙しいよなあ。 イラストレーター協会の展覧会なんだよなあ。 はぁ。区展もあるしなあ。 どうしようかなあ。 |
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ギャラリーでは、留守番をしながら、陶芸作品もしくは、コラージュのどちらかを作る。 陶芸の日に来た人は、茶もセルフになってしまう。 (手がドロドロなのよ) 仕方が無い。運が悪かったと諦めてくれ。 何も買わない客しかこないのに、 アタシが創作の手を止めるのは間違っている。 というように、営業にもだんだん慣れてきた。 陶芸作品も、油彩と同じように嵩張るのが何だよなあ。 今度から、版画芸術の広告掲載を炎に切り替えようかと真剣に考える。笑。 (版画芸術と炎は、それぞれ季刊で、同じ出版者が発行している。) ま、まだそれほどでもない。 陶芸家の浜田庄司さんの番組に出ていた、(解説者が所有している)焼き締めの小壷、かわいかったので、パクリ品を作る。 下が丸いため、ゴロゴロと安定感が無いのが特徴で、陶芸のセンセイは、きっと怒るに違いない。 |
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悪魔と妖怪の合コン展に出す予定の、卵型の陶器の型。 これに、薄く土を塗り重ねて、焼こうという話になっている。 陶芸のセンセイは、釉薬をつけたときに、どうしても、一部が台についてしまうため、うまくゆかないから、足をつけるようにという話になる。 オジャラ『それじゃ、ご指示の内容の作品を半分、残りは、言う事を聞かない作品ってことで作ってみます』 というような回答。 試行錯誤や、ある程度の自由さを感じさせられる作品にならなければならない。 見るほうの眼は、作るほうよりもずっと肥えている。 作品の鑑賞というのは、見る者と、置かれた場所との静かなる対話の時間なのだ。 だから、どんなギャラリーで展示をするのかというのは、物凄く大切になる。 展示次第では、作品は良く見えない。 もしくは、どんな筋のギャラリーの、どんなお客さんなのかということと、場違いでない作品であることが大切になる。 でもまあ、そういうこととは関係なく、ヨイ作品は、ヨイというのは正しい。 |
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イラストレーターの諸岡さんに、 『雑誌のイラストの営業などに行くときには、雑誌の筋は大切ですよね。自分と絵の筋が違う雑誌に営業かけても、全くムダですからね』 などという話を伺う。 画廊も、まあ、そういう傾向だということになる。 アタシは、日本橋が、バイト先から近いということで、ギンザ1丁目から日本橋界隈の画廊を回ることが多い。 主婦の友ビルの道には、画廊が集約している場所があり、5-6件の画廊を一度にまわることが出来るのだ。 毎週よく、こんなに作家さんたちを集められるもんだなあという感想。 でも、売れているとも思えない。一番売っているのは、版画専門のムラカミ画廊さんに違いないという確信。笑。あそこは、貸画廊ではなく、自分の鑑識眼で集めてきた版画を、収集家に売りさばく画廊。企画ということでもない。まあ、フツーの商売に近いかな。作品を仕入れ、どんどんと販売をするというそういうポジションである。 この前は、巡回コースから少しはずれて、もう少し高級な画廊で作品を見る。 ヤヨイちゃんとか、シャガールとか、ミロとか、日本人に売れ筋の作品をたいして売る気も感じられないムードで展示している。 豪華な内装に、ああ、きっと、いいお客さんがついているんだよなという納得。 『シャガールある?』とか聞かれて、手持ちをおくから出してくるから、別に、展示しておく必要もない。 貸し画廊と売り画廊の違いは『品』かなあ。 置いている作品も全く違うしね。 でもまあ、アタシの作品なんて、見る前に断られるということが解っている。 別に、売り込む気もないけど、クサマの作品には引き込まれた。こんなステキな作品をタダで見れるので、又行こう。 |
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