◆◆◆ 1121 ★ 山下清さんの番組-2 ◆◆◆

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2008.3.31.更新

後半、裸で歩いていると、警察に捕まったり、精神病院に入れられたりもしていたみたい。

裸では出歩けない時代になったのだ。

裸で歩いていると、今度は、山下清を発見したと、新聞社に通報され、新聞記者は地元空前の大スクープ。

茶椀を二つと箸を持ち歩き、物乞いをし、野宿をしながら放浪をするというスタイルもスゴイよなあ。

一つの茶椀には飯を、もう一つには、おかずか汁を入れてもらうのだそうだ。

食べ物にありつくために、嘘もついたらしい。同情を買って、人の施しを受けながら旅をし、絵を描いたということになる。

彼は有名になってからは、今度は、絵を進呈し、食べ物にありつくという旅を続けた時代もあったのだという。

確かに、有名画家先生で、その絵が何十万とか聞けば、誰だって、家に泊まって絵の一枚でも描いてくれないかと思う。

途中から、精神科医のナントカいう人が彼の後見人になり、彼は画家としての生活が忙しくなったのだという。

脱走先の近くの陶芸工房に保護。缶詰にされて、いくらでも皿などに絵を描かせて下さいなどと、精神科医の人は、窯元に頼んだらしい。

そういう息苦しさから逃れるために、また放浪を繰り返すのだという事が、精神科医のセンセイには解らなかったんだと思う。

晩年、彼が放浪をやめたことについて、アタシは考えた。

みんな忙しくなって、彼は、放浪生活の中で、食べ物を得ることができなくなったのだと思った。

番組に出てきた宿の女将さんも、『昔は、自殺者とか、困った人とかをよく助けた』と話していた。

今は、もう助けないのかもしれない。

というか、時代そのものが、そういう余裕がなくなってしまったのだと思う。自分だけが良くなるために、みんな生きている。

裸で歩いているというだけで警察に通報するし。

警察にお世話になることが増えて、思うように旅ができなくなったという事に、清本人も気づいたのだと思う。

デパートなんかのサイン会の映像を見て、ポストカード一枚一枚にサインさせているシーンなどには驚いた。

作家に、ポストカードにサインさせてしまうって、どういうことだろう。

山下清も、精神科のセンセイに、「どうしてみんな、僕にサインを書かせるのか?」と尋ねたらしい。

センセイは、「みんな、サイン病なんだ」と答えたのだという。

確かにそうだよね。

サインが値上がりすると勘違いしているのである。タダでもらえるしね。もらわないと損みたいな。笑。

値上がりするのは、作品で、サインというのは、おまけみたいなものだけどね。

まあいい。もらった人が嬉しいということは大切である。

野球小僧が、大人になっても王さんのサインボールを大切に持っているというのに似ている。

そういう、魔法のような力が、サインにはあることもある。

でもまあ、ポストカード10枚セットの一枚一枚に、サインを求めるというのはね、求めるほうの常識がない。

最低でも図録ぐらいは買ってあげて欲しい。

まあ、そういうことの良し悪しもまだ定まっていない時代だったのだとも思う。

それに、今の作家さんがデパートでサイン会をして、あんなに集客できるんだろうか?

それぐらい異質で有名だったということになる。

画廊(デパート)もやり手だったということかもなあ。

今なら、整理券などが配られて、先着何名様とか、そういう話になるだろうから、あんなに混乱もしないね。

大切なことは、複製版画などにもされ、大量に世の中に出回ったということだろう。

花火会社の社長すら、借金しなければ買えなかった花火の切り絵の話と、供給する側のきまぐれの関係を考えれば、原画以外も大量に販売されたという筋は間違っていないと思う。

本人はそんなに金に執着があったとも思えないが、家族がもそうだったのかは解らない。

画家としてどうだったのかと考える。

絵が死後残ったというだけで幸せである。

折り紙が材料だったため、作品の劣化が激しいというのは仕方が無い。

精神科医のセンセイは、山下に油彩も描かせていたようだったが、切り絵に見られる美しい色彩は除外されていた。

まあ、もっと上手く(モチベーションを上げて)描かせる術を持っていなかったんだろうなあ。

もし、本当の創作者なら、作品の恒久性についてもきっと、考えを及ばせることができたに違いない。

押し付けでは人の心は動かせないということだったのか。

それとも、描くべきモチーフそのものの色が、(時代が進みすぎて素朴な良さの消失とともに)退色して見えたのかもしれない。

個人的には、絵の具の(科学反応による)変色というのもあったんじゃないかと思う。

今となっては、どちらでもいい。色のない花火の絵は痛々しい。

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