◆◆◆ 1112 ★ 書たち ◆◆◆
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2008.3.26.更新 |
ハーネミューレに書いた、書の作品たち。 やはり、紙が高いと仕上がりが違うわぁ。 そうして、昨今の値上がりモードは、輸入紙にまで。 はぁ。 無駄遣いするのはよそう。 書など売れるはずが無い。 まだ、ドローイングの方が可能性がある。 そういえば、この前頂いた色紙も順調に消化中。 失敗作品は、裏にも書き、またまた失敗したら、黒く塗りつぶして、白いインクで書く。 それでも失敗したらコラージュの台紙になり、作品というのはイロイロな顔を持つものだと思わされる。 |
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こちらは、空。 一旦、ハーネミューレを水で浸し、縮墨を使う。 墨の作り方を教えていただいてヨカッタよ。 書道のセンセイは気に入らなかったみたいだったが、陶芸のセンセイは嬉しそうに眺めていた。笑。 見る人が違うと、評価も変わるというのが、作品の奥深さである。 薄くグレーが広がり、なんとなく、曇り空というお顔。 洋紙らしいマチエールも面白かったと思う。 和紙ではない紙の味わいとでも言うべきだろう。 |
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この作品は、ちとバランス悪かったかなあ。 陶芸のセンセイは絶賛していたからな。 まあいいかぁ。 少しハミダシ気味だったんだよね。 額縁屋のオヤジが見たら、マットをかけると、作品が切れる(から、もっと小さく書け)と、きっと言うに違いない。 この調子で高級紙を消費する財力がないんだよね。 ピカソやマティスは、アルシュという紙を愛用していたのだという。 だから、紙の劣化が遅く、作品はいつまでもシミや焼けなどから守られて価値を保てるという評価。 アルシュに描かれているのかどうかでも、真贋の確証に近づける。 作品作りというのは、ただ作ればヨイということではなく、恒久性というのにも着目して、長期間、良いコンディションを保てる材料を使うというところにも、作家は気を配らなければならないということのようだ。 |
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階段スペースは、アタシのヘタクソな書が並んでいる。 いやまあ、もうすぐしまいますよ。はい。展示するほどでもありません。 この書は、色紙などよりもずっと伸びやかに書けたいい書だったと思う。 知人が訪ねてきたときに、「いい書でしょう?」 と聞いたら、アゼンとした顔をした。 オジャラ「ああ、良さが解らないよね。ヘタだもんね。笑」 彼女は素直に、「ハイ」と頷いた。 自分の俳句を、封筒を広げた紙の裏に書く。 現代アーティストらしくなってきたよ。 そうして、色紙に小さく詰められた文字よりも、動きも出せたし、私の字というヘタクソさもあると思う。 筆跡というのは、個性でもある。 そういったものを(ほめられるために)作品から排除するのではなく、素直に、欲無く文字に向かう。 これが書の真髄なのだ。 だから、あいだみつをの書もいいし、今であれば、昨年酷評した書の至宝展にもう一度行ったとしても、もっと、深い感情を寄せられると思う。 自分の俳句を、書にしておきたいという気持ちがあるのだが、思い出せないんだよね。笑。 ま、そのうちに。 折角時間をかけて作った墨を使っているのに、封筒の裏だと、滲みが全くでないのが物足りない。 |
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