◆◆◆ 1083 ★ 茶杓 作り方-2  ◆◆◆

 

2008.2.5.更新

完成した品があまりにも、造形が、市販品と違うので、きっと何か、作り方のコツがあるに違いないと、ネット検索。

茶杓 作り方 

で検索して、ヒットしたコンテンツを読む。

おおっ。竹は、削った後に、水に3-5日つける。

それから、5時間ほど煮込む。

なるほどぉ。

こうすれば、柔らかくなるよなあ。

オジャラよ、作る前に読めよ。

という気持ちでイッパイになる。

しかし、自己流だったため強引で諦めの悪いアタシなりの茶杓もできたわけだし、(皮の部分が外側という、稀有な実在)まあ、何も知らなというある種のシアワセなのだと思ったりもする。

もし、5日水につけ、5時間も煮込んだりしたら、きっと、最初からうまく作れて、利休のキモチになったりはしなかっただろう。

そうだよ、なかなか、曲がらない竹というのは、生きることそのもののようで、ムリをすればコゲたり、力を入れすぎれば折れたりしてしまう。

かといって、遠ければ曲がらない。

人間関係に似ていて、そうして、本質というのはどんなことからもまなぶことができるのである。

アトリエには、古い竹の大きなかごがいくつかあり、それは、竹のアミカゴを作ろうとおもって買った品なんだけど、つかえそうなのがあれば、それを水につけて、茶筅をまた作ってみようと思う。

壊れるものではないし、今のでは、あまりにも不恰好であり、造形作家を目指すものとしては、お粗末極まりない。

もし、カンタンに作れるようであれば、アタシの展覧会のときに販売してもいい。

もともと、陶芸の展覧会もできるようにと和の空間を作ったのである。

版画芸術の広告はやめて、炎に広告を出すかなあ。笑。

とりあえず、まず、陶芸の作品を作り進めたい。

今作りたいのは、鉄瓶のフタや、柄杓を置く台。

別に決まりはないみたいだから、適当に。(ある可能性は強いが、気にしないというのが正しい)

茶筅を作っているときに訪ねて下さった「S入さん」は、アタシのリクエストに応じ、茶も立ててくださった。(ちなみに、見ず知らずの方です)

ふくさのたたみかたとか、フキンは無いのかとかなど、細かい指示がだされ、アタシは、とりあえず洗濯した食器拭きを出してみた。

S入さん『まあ、これでも仕方ないですね』

などといいながら、見事な手さばきでふくさに見立てたフキンを折りたたむ。

おおっ。さすがに美しい。

ムダのない動きでキチンと折りたたみ、そのフキンは、スっと広がったり、またたたまれたりする。

そうして、彼女は『お茶を点てるときに、ふくさがないと、進めません』などというコメント。

ふくさのたたみ方の優先順位が、茶を立てるよりも先にくる流派に属されていると見た。

アタシも、あんなに美しい所作なのであれば、次は覚えようという気構え。

アタシが茶道のセンセイなのであれば、まず、茶を飲ませ、次の回には、茶を立てさせ、そうして、ふくさはその次にするだろうなあ。

そうしないと、来る人が、面倒なふくさをたたむという繰り返しが嫌になって、やめてしまうと思う。

茶を習いにきたのに、ふくさの時間ばかり長くてなどと内心不満に違いない。

ところが、実際茶が泡立てられるようになれば、他の作法についても学んでみたいという気になるから、人間というのは欲深い。

彼女は、アタシ好みの大柄だったので、今度モデルもお願いしよう。何といっても近所に住んでいる。

まつもとひかるセンセイの銀の猫を買い、兎屋みいすけさんのマグカップも購入してくださる。

オジャラ『どうして、銀の招き猫を買おうと思ったんですか?』

という問いに対して、

S入『この顔をした招き猫が、福を呼ぶのか、それ以外を呼ぶのかを試してみようと思って』

という気の利いた返答。

なるほどぉ。

作品を購入するというのには理由があるものである。

理由などないけど買うということはない。

私の経験から言えば、作品のどこかに心が動かされるとか、頑張りが感じられるとか、値段が予算の範囲内とか、そういう理由からくる。

例えば心が動いても、予算オーバーの場合、アタシなら、購入は見送るし、作品との出会いは一期一会なので、もう、それきりということばかりである。

 

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