◆◆◆ 1030 ★ ociosaさん落選 ◆◆◆

 

2007.11.3

この前、オカモトタロウ賞に応募した、結果の通知がアトリエのポストに入っていた。

どうせ落選だろうとは思っていたが、OCIOSAさん宛なので、彼女に連絡を入れる。

そうして、中を開けて欲しいというので見てみると、やはり選外であった。

681点の中の入選は20点とか30点だからね。狭き門なのである。それに、偽札の展示を、美術館がするワケがない。

「新しい表現」などといいながら、常識的な価値観しか持ち得ないのが美術館という場所だし、デュシャンの便器だって、美術館での展示をキッパリと断られたという歴史を考えれば、順調である。それが今では11億円。名だたる有名現代美術館がそれぞれに所有しているという名品に昇華。

オジャラ「あれねぇ、アナタの経歴にも、箔がついたわね」

オシオッサ「そうなんでしょうかねぇ。ふくざつですぅー」

という会話。

そうして、来年は、「ビニール袋に入れた息」を応募しようという話になり、今から来年も落選決定という嫌な予感。

まあ、日本のコンテンポラリーアートの図録を見れば、その傾向は理解できる。

何度見ても眉をひそめてしまうその作品群は、オシオッサさんのように、創作から離れた作品とは一線を画しているということである。

ま、あーいう、ムダで巨大な意味不明の作品も作れってことなのかしらね。

だいたい、目に見えないものを作るというコンセプトが間違っているのかもなあ。

創作の根本というのは、全く作家の資質によるものであり、今回の展覧会で、区内の沢山の画家さんたちとお話をしたりしても、そのことは理解できてくる。

個々に目指している世界があるのだが、その域たるや、全く別な場所にある。

作家さんごとに、画家のお友達のレベルというのも違う。

例えば、比企センセイなんかは、ギャラリーステーションという雑誌を見ると、「ああ、この人、一緒に展覧会やった人」などという話がゴロゴロ出てくる。すごーい。

逆に、賞や画風にこだわらない自由な画壇を目指して群炎を作られた斉藤センセイなんかは、作品を沢山作ればいいという感覚。

斉藤「この絵ではダメだと、木村センセイに言われたんだよ」などと愚痴も混じってくる。

本人も売る気も全く無いわけで、不思議だよなあと思わないわけにはゆかないのである。

全く売らないのに、企画で展覧会をしたいというのが常識的でない。販売できるから、その手数料を画廊が収益として受け取れる。だから、企画が成り立つのである。

販売もしないのに、画廊が企画の展覧会をするはずがない。

大島さんの絵も同じ話で、しかも、「企画でやらせろ」という命令口調。

あの人は、アタシの上司でもなければ、絵のセンセイでもない。

アタシは、彼に、何故命令されなければならないのか全く解らない。そういう、社会的常識というのも、作家の資質のうちなのである。

何かものごとを頼むときには、「お願いします」だよね。うん。アタシは友人だからさ、別に気にしないけど、本当の画廊だったら、きっと断ると思う。

画廊が求める人材は、画廊のお客さんが求める絵を描ける能力のある作家さんなのである。

自分の作風を押し付け、作家にエラそうにされたら、きっと画廊は離れてゆくと思う。

画業というのは、絵が良いというだけではダメだということになる。

区内の作家さんを中心にした展覧会をいくつか開こうと考えて、「足立の風景画展」、「玄関に飾る、花の小品展」、「にゃんこ大集合展」、「カエル天国」などのグループ展の参加者を集っている。

大島さんの絵ときたら、太陽の絵ばかりなので、そのどれにも参加することはできないのである。

ところが、斉藤センセイや、大津センセイ、その他の作家さんたちは、時間がある程度あれば、絵はいくらでも描ける。

まあそんな感じである。

反対に、絵の会などに所属されている作家さんたちは、そういう、ありきたりな作品でさえ、これから作る場合、制作が間に合わないという話。

それが、創作者のレベルということになり、展覧会の奥深さということにもなる。

なるほどねぇ。

区内で画廊業が盛況になる日は遠い。

にゃんこ大集合展は、お陰さまで、ボチボチと参加者が増えてきている。

もうそろそろ締め切ろうかなと思う。

驚くべきことに、ネットでもエントリー者が何人も来た。(イラストレーター協会の人多し)

地元の猫作家さんに声を掛けていて、その人が、別なお友達を紹介してくださっているということもあると思う。

この前電話したOさんも、「東京で2万5000円で展覧会ができるなら、安いと思う」

などと話していた。

そうなんだろうか?

2万5000円で2点だよぉ?

作家というのは、自分の金を払い続けながら作品を発表するのが仕事なのかと思ったりもする。

そうして、それは、絵によるということが決定的で、マーケットの求める作品というものも、描く側が勉強しなければ、作品が売れたりもしないということは、ぼんやりと理解できてきた。

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