◆◆◆ 1025 ★ 額縁屋のオヤジの話 ◆◆◆

 

2007.10.28

北千住に来る用事があるとかで、ギャラリーに来てくれ、足立の画家・作家展を見てくださった。

額縁屋のオヤジなどと呼んでいるが、彼は、絵を数億円も売り上げてきた男である。

それは、自分の眼で選び、額縁を誂え、庶民に販売し、自分も儲けてきたという実績である。

「自分は額縁屋であり、画商ではない」

と潔く、インテリア絵画販売者だと名乗る。

売り絵と呼ばれる絵で成り上がった男である。

彼の眼の肥え具合はアタシの眼の肥え具合とは筋が違う。

それでも、商売で儲けていたことは事実であり、ある一定の部分以上での共通認識はあるということになる。

うーむ。この作品は、著しく他のと比べて、出来上がりが悪かったよなあ。

あとりえで個展をしているときには、やむなく乾燥しながら展示もされてたけど、ギャラリーでということになると、展示からは除外されてしまう作品ということになる。

オジャラ「アタシが価格を決めるという展覧会ではないですからね。作家さんに値段を決めていただいたんですけどね。」

額縁屋「うーん。この値段じゃねぇ。6万も出せば、銀座でもプロの作家さんの作品が買えるからね」

とバッサリ。

彼はいつも正しい。

絵の価格というものほど、指標が見えにくい商品も珍しい。

ある出展者は、「絵の価値はあってないようなものだけど、安いとダメだ」

などと、何の根拠も無い価格設定をもちかけてくる。

「6号5万円だと、どんどん売れる(けど、それでは面白くない)」と語る作家さんは、6号18万円の価格設定。

俺の絵は号3万円だ。と全く譲歩する気の無い作家さんは、10号30万円の値段を書いて貼り付けている。

高い絵と安い絵が混じると、どの絵も売れなくなる。それは、買う側が不安になり、決断を見送ってしまうからである。

画廊を渡り歩いているアタシにしてみれば、「絵の価値を決めるのは画廊である」と今は解る。

結局は、買う人の価値でもあるのだが、その「買う人」にサイフを開かせる作品を作らせて、価値を上げてゆくのが画廊の仕事なのだ。

画廊の鑑識眼対収集家の懐具合ということになり、その戦いは終わることは無い。

画廊などいくらでもあるわけで、お客様は、どの画廊で買おうと自由なのだ。

残念なことに、買いたい絵が無いという、もう一つの実態がある。

画廊業から4ヶ月でそのことを理解できたというのは、悪くなかったと思う。

画廊を持ちたかったということではないけれども、絵を描いているだけでは学べないことも、短期間で理解できてくる。

立場というのは、価値観までをも変えてしまうのだ。

例えば、どんな風に理解が進んだのかといえば、「描く」側と「買う側」の気持ちの違いである。

それが、物凄く大きいのである。

見るほうは、知人から案内状を頂いたので見に来たという人が多い。

学校の先生というのは義理堅い。

50枚づつ配布したポストカードにも勝敗があった。

切手を貼り、ご案内を地道に送った人は、結構遠くからも来てくださっている。

近所の人は、手渡しでも来てくれる。

「表参道で個展のときには、誰も来てくれないけど、千住だと来てくれるんだね」

なんていう話をボソリとする。

地元での展覧会というのは、近くの人にとっては、歓迎されるということのようであった。

まだ、画廊の認知が低いので、大きな流れにはならないけれども、もう少し画廊の場所に対する認知が広がれ゛は、ポスターを掲示しただけで、集客ができてくるはずである。

それは、企画によるということになる。

隣で営業している古着屋さん。

メガ福袋セール中。

ブランド品15-20点を詰めて、インターネットのみで販売。10500円。

そうだよ。売れ残り品は、値下げで処分。もしくは、福袋として、ハッピーに処分。

それが商売の基本である。

彼のきめ細やかなネットも巻き込んだ販売や、あまり店はあけてないけど、ネットでも販売しているという商売の奥深さは勉強になる。

ネットで絵が売れるとも思えないが、千住柳町の八木美術さんなんかも、ネット販売が主流らしい。

気持ち的には、お宝鑑定大会なんかを、ウチのギャラリーでやってくれないかなという思いがある。

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