◆◆◆ 1023 ★ 新作銅版画 ◆◆◆

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2007.10.24

銅版画教室は、環境と体に優しい創作を目指すことになったため、油性マジックを利用することになった。

黒ニス禁止。

そうして、私も新しく生まれ変わり、アクアチントを作る。

嫌まあ、それほどの作品でもない。

黒い部分は、手でドローイング。

概ね、このようにエッチングで加筆して、ディープに腐食を施す予定。

そうすると、一回の刷りで、濃い部分と、面の部分が作られる。(予定)

売れるとも思えないが、線だけの版画よりはマシである。

気持ち的には、凸刷り作品に着手したい。

年賀状用に。

オジャラよ、小口木版はどうしたんだよっ。

未完の版木があるので、継続する予定ではいる。

久しぶりに刷る銅版画というのは、やはり、ひんやりとした感触が艶かしく、そのツヤツヤとした画面に映る自分のアゴの太り具合だけが現実をつきつけてくる。

年賀状、今年はとうとう出せなかったよなあ。

手刷りだからね、二年に一回ってことで。汗。

新作ツリー。

月と金星を描きいれる。

この前、仙ガイ(文字は、涯のさんずいが無い字ですが、文字化けします)という禅僧の書や書画なんかの番組を拝見。

禅の世界では、月は仏の教えを現すのだそうだ。

そうして、指先は、教えを書いた経典のことなのだとか。(アタシが見た番組の絵は、大人が月を指差している絵なのだが、月は見当たらないという、シュールな絵であった。)

月を指差す男と子供。

指の指し示す場所に、月は無い。

私の解釈では、経典ばかりが先にたち、教え(本質)が見えなくなっているという絵に違いない。

番組では、そうは伝えていなかった。

見る人により、絵の解釈は異なるものであり、作家本人が、どのような意図でその絵を描いたのかと言う説明を書き記していなければ、その意味は、永遠に正しい理解をされることもない。

私は、時々、絵に月を入れる。

それは、別に、禅の教えを意識していたということではない。

太陽も月も、自然に絵の中に入って来る。

それが、画風というものだし、作家の精神性ということになる。

深い意味はない。

そうして、この猫を見るにつけ、熊谷守一の猫の絵に似ているよなあと思ってしまう。

別に、パクリではない。

よくよく見ると違うのである。

アタシは、彼の絵を見る前に、既に、このマチエールを開発していたし、彼のマチエール程、真似しやすくもない。笑。

でもまあ、似ているなと思わないわけにはゆかないのである。それが嫌なんだよね。

特に、猫のときには、そう感じる。

これは、アタシの新しいマチエール。

まあ、絵の具がもったいないという、アーチストのお友達からの苦情を除けば、オリジナリティはあると思うけど、パクられても仕方が無いという域であり、完成度という意味ではイマイチなんだと思う。

絵の道というのは、どこまでも遠い。

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