◆◆◆ 1006 ★ 平山郁夫さんの番組 ◆◆◆
2007.10.7 |
近々、大きな展覧会があるのだろう。 平山郁夫さんの番組が流れていた。 またラクダかぁ。 などと思いながら、彼のアトリエ映像を拝見する。 最低でも100回以上は塗り重ねられた日本画の大作。 なんという柔らかい、それでいて独自の世界を持った作品群なんだろう。 シルクロードの素描だけでも2万枚はあるのだそうだ。 そうだよなあ。 アタシなんて、やっとのことで5000枚なんだからね。まだまだだよ。 最近は、作品作りに時間がかかるのもあって、ビミョーに数が進まない。 旧作に加筆することができるようになって、作品の完成度がアップしているのだから、それはそれで、仕方のないことだと思う。 |
|
平山さんのアトリエは広々としていて、大きな絵を作成する場所と、小品を置く場所に分かれていた。 大作は、展覧会用。 そうして、6号前後の小品を、売り画廊で売るという構図。 展覧会でも、当然に作品は販売している。 値段がついていないだけである。 一般の人は、買おうなどとは思わないと思うだろうが、額縁屋のオヤジによれば、当然に販売するのだそうだ。 だって、デパートだもんね。 あらゆる品を売るのがデパートなのである。 外国の美術館から借り出してきた品はともかく、本人が描いている作品の展覧会なのであれば、当然に、買うこともできるという構造。 アタシは、実際、売り場の人に値段を尋ねている人を見たことがある。 なるほどねぇ。 |
|
番組では、お約束のキーワード、 ●新しい日本画の世界を開拓(輪郭線からの脱出) ●独自の画風 ●何度も塗り重ねられた重厚な質感 というような賛辞の言葉が散りばめられ、さすが王者というまとめ方。 見る側は、真剣に画業に取り組み続けたその姿勢に心を動かされ、一枚ぐらい欲しいなという気持ちにさせる。 持ってれば自慢できるしさ。 絵画会をリードしてくれる人がいるからこそ、それを目標に、高い場所を目指して追随する人が出てくるのである。 この前拝見した、掘文子さんの番組もそうだったけど、日本画の方の作風の根本には、「美意識」というものが強くあり、見る物は、その美しさにウットリとするのである。 |
|
平山センセイは、「作品は、美しくなければならない」というのをコンセプトに作品を作られている。 「例えば、原爆図であったとしても、どんなに悲惨な絵であっても、美しくなければならない」 のだそうだ。 創作の根幹を美に置いている作家さんは多い。 それは、作品を見れば解る。 「美」をコンセプトにした作家さんには、他の作品を認めないという傾向を持つ場合が多いなと感じることがある。 嫌まあ、コンセプトというのは大切なものだけれどもね、全く受け入れないというのとは違うかなあ。 その人が、画壇の審査の中心となり、美以外の絵を排除しているとなると、問題だよなあ。美が不足していても、それ以上のモノを持つ、ヨイ作品というのは沢山あるからである。 例えば、平面中心の美術家さんと、最先端のゲンダイアーティストの人とは、話は噛合うこともなく、「机上の空論だ」などと言われ、とりあってももらえないということが起こる。 こうなると、人間の全否定にまで発展しかねないよなあ。 まあいいかぁ。 そんな、不毛なやりとりを繰り返しても、どちらも折り合うことが無いのである。 話をする時間が無駄ということになる。 絵の一枚でも描くぜ。 |
Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara. |