◆◆◆ 996 ★ 伝統工芸展(竹内順一センセイの語録) ◆◆◆
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2007.10.2 |
久しぶりにマットウな解説。竹内センセイ、ありがとうございます。 何度もビデオを見て、いくつかの言葉をこちらで、ご紹介させていただきます。 全く素晴らしいお話ばかりで、勉強になりました。 ●工芸技術というのは、それぞれ時代の最先端の技術である。 時代とともに、素材も、道具も進化してきている。それ(新しい材料)を使って作ろうという発想が大切である。 キーワードは、「新しい発想」。 |
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●伝統というのは、今までの歴史の上に、新しいページを加えて、少し時間がたつと、またそれが新しい伝統の土台になる。(というのの繰り返しである) ●伝統というのは、表面から見ると新しさを感じないかもしれないが、器というもののあり方とか、人間と道具とがどういう関係にあるかという部分は、今までの伝統の中に築かれてきたものである。 (↑どんな意味か解らない方、ごめんなさい。アタシには解ります) ここで、松田さんという方の、螺鈿の作品の紹介が入り、松田さんの肉声になります。 「技術というのは、身につけると人に見せたくなるんですよ。あれもれも、入れすぎてしまうんです。」 そうして、作品を通じて思いを伝えるということよりも、「技を駆使してゆく」ことに夢中になっていったのだそうだ。 ギンザのワコーから作家デビューも果たし、一流の仲間入りをしたのだが、あまりにも技巧に走った作品作りに疲れてしまい、作品が作れなくなってしまったらしい。なるほどぉ。燃え尽き症候群ね。 そうして、サンゴの水槽や貝殻ばかりを見て何年も過ごしたのだそう。 貝殻は、加工などしなくても、十分に美しい。 そこに気づいて、自然に割れる貝殻の造形を生かした新しい作品にとりくむ気になったのだという。 |
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そうして、この映像に対する、竹内順一先生の解説。 ●技があれば、それを使いたい、見せたいというのは仕方が無い。 芸術の分野ではどこでもそういう傾向だが、工芸品の場合、特に技術が重要な部分を占める。 (ところが、市場というのは、技術面だけでは語れない部分がある。) 作品が出来上がって、作家の手から作品が離れると、作品は独立し、一人歩きをはじめる。 技術だけの作品は、作家が思うようには受け入れてもらえない場合もある。 ●鑑賞者や、持つ者は、人間の心を持った、優しいもの(部分)も工芸に期待する。 作り手は技術を抑え気味にし、自然な形で技術が作品の中に出てくるという境地が大切である。 |
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そうして、次に出てきた若い染色家の藍田愛朗さんという人の親方の話。 ●次の時代を育て上げてこそ、伝統である。 それには腹を大きくして、全てを託したい。 引き続き、センセイの解説 ●伝えることの困難を乗り越えてゆかなければならない。 作る人そのものが、現代感覚に溢れて、自然に創作に取り組んでいる、(若い人たちが)自由に作っているというのが感じられた。 と、番組を締めくくった。 若い人たちが、自由に、新しい発想で作っている伝統工芸品ということになる。 ううっ。展覧会は終わっちゃったよ。見そびれた。 でもまあ、番組を見れてヨカッタ。 見るのは、どうせ、入賞作品だけだからである。 そうして、若いというのは、羨ましいと思っている自分に気づき、もう、若くはないのだと少し淋しい気がした。 |
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