◆◆◆ 913 ★ マルレーネ・デュマス-2 ◆◆◆

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2007.5.26

マルレーネの展覧会は、あいみつとは違い、もっと若いアーティストでございますという感じの人が沢山訪れていた。

常設展では、岡本太郎の明日の神話が展示されていて、あの作品は、ここにあるべきだと確信する。

汐留めの屋外に展示されていたときには、正面にカフェやビールのお店があって、一杯やりながら拝見するというのは、オツなもんであり、あれはあれで楽しかったけどなあ。

マレーネの展覧会は、今回のために、新作ドローイングを何十点も描きましたという筋と、大きい油彩、過去の代表作の展示というムード。

6号とか10号の作品が小さく見える。

大きい展示室というのも、作品とのバランスがあって、難しいものである。

マルレーネの作品は、あの、首吊ったドヨーンとした作品がいくつもあったり、死体の絵とかさ、そういうのはね。

いくら印象に残ったからといって、まあ普通。

その手の話でしか、見た人の記憶に残せないのだとすれば、ありきたりな才能ということになる。

最初の死体の絵が一発当ったから何枚も描いてみましたという風にしか思えない。

彼女にしてみたら、生と死について考えさせる作品などといって発表しているのかもしれないけど、見るほうは、嫌な気持ちでイッパイになる。

まあ、そういう、不快な気持ちを与えるだけでも、風景画なんかよりはマシなのかもしれない。

アートって何だろう。

美術館を回っていてそう思うことは多い。

美術品じゃないこともあるし。

オジャラよ。それよりも、その薔薇を何とかしたらどうだよっ。

まあいいの。アタシもこの道で生きてゆかねばならないし、薔薇の花しかうれない。

否、薔薇の花だけは売れるわけで、それはそれで、描くべきなんだと思う。

黒猫オットさんが通りかかり、また、内部を見てもらう。

そうして、何か、楽しい企画がある展覧会にしたいという話になり、「カエルのイラストをあちこちに隠しておいて、数えてもらうとかね、」

とか。

黒ネコさんは、オシオッサさんの新作についてもチェックを忘れない。

黒猫オット「オシオッサさん、最近どうしてる?」

オジャラ「オシオッサさんかぁ。どうかなあ。工事で廃材大量だから、何か作るんじゃないの?」

黒猫オット「あれですよねぇ、やっぱり、天井からカエルの仮面が吊り下げられていて、その面をつけて、記念撮影できるとかねぇ」

オジャラ「そうだよねぇ。その筋の、記念撮影系は、来た人楽しめていいよねぇ。アタシと彼女が話しているのはさ、

床に敷いている、工事が終わるまで床板を保護するための、プラスチックの板で何か作れないか?ってことなんだけどね」

まあ、そういう話で盛り上がる。

オシオッサさんは、何か作ってるのかなあ。

あの人の作品は、目に見えないモノというのがコンセプトだからさぁ、よく解らないんだよね。

5/28

今日は、テーブル用の板にラッカー塗り。

この左の、女体のようなフォルムの板である。

予想以上に大きすぎて、看板はムリってことが解って、テーブルにすることに決める。

それから、看板が大きすぎてカットした残りの板にもラッカーを塗る。

置床にするという目的があるからである。

3枚も要らないんだけどね。

まあ、トイレの荷物置きとかにしてもいいし。

ちなみに、この看板、手前に、「か」-3×

とチョークで書いてある。

一生懸命サンドペーパーで消したつもりだったけど、ラッカーを塗ったら浮き出てきちゃったんだよね。

仕方ないかぁ。

ラッカーに閉じ込められたチョークは、もう落とすことが出来ないのである。

このテーブルは、「か」-3×(か マイナス さん 掛ける と読む)

というタイトルに決まる。

もう一つの板には、「さ」-3×

と書いてあったので、その板は、チョークを残し、シリーズ作品とした。

たはは。そんな置床でおもてなしを受けたら、お茶愛好の皆さん、ビックリするよなあ。笑。

大工さんには、「有り得ない」と全否定。

アタシの作品もなかなか現代アートが入ってきたぜ。

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