◆◆◆ 887 ★ 新作の構想 ◆◆◆

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2007.4.6

この絵は、ジャコベッティの金属のテーブルの作品を、アタシが、オシオッサさんに説明するために書いたメモ書きのようなものです。

久しぶりにオシオッサさんに会って、昨日見たパリのなんとか展の展覧会の感想なんかを話す。

彼女は早速インスピレーションが沸いたらしく、今度できるカフェのテーブルやなにかについての構想を話しはじめる。

アタシが彼女にしたのは、ジャコベッティーの彫刻の話である。

テーブルの上に女の胸像。ベールをかぶっていて、顔が半分だけ見える。それから、右側に手首から指先までの像が置いてある。

足は、4本あり、全部違う造形をしていた。

おおっ。これが芸術というもんだぜ。

猫足や、作るのが面倒だからという理由で、市販品を組み合わせて作ろうなどという発想が貧困だと思い知らされる。

オジャラ「ジャコベッティーって、やっぱスゴイよねぇ。それにさあ、同じ足を4本作る自信ないけどさあ、違う足だったら作れる自信あるもの」

オシオッサ「あの木材を長テーブルにするのであれば、アタシの作品を足の一つにしてもいいですよ」

オジャラ「アナタの作品ってさ、どの作品よ?」

オシオッサ「ビニール袋に息をいれたやつのことです。」

注意:あの作品は、芸術的耐久性のため、市販品(1個200万円)はペットボトルに入れられている。

最低でも4-5本はいるからなあ。それだけでも1000万円になっちゃうけど。(ここは笑うところです。念のため)

なるほどぉ。ビニール袋に入れた息が入ったペットボトルを何本かつなげてテーブルの足にするのかぁ。

まあいいかぁ。

彼女の作品を展示するスペースは作れそうにないけど、テーブルやイスなんかであれば、まだ、そういう余地はある。

折角オーナーが画家志望なんだから、来た人にも、何か楽しかったという体験がしてもらえる場所にならなければならない。

そういう仕掛けがあるのか無いのか?

それが、美術館の企画展と公募展の違いなんだよねぇ。

もう一つ、アタシは、彼女に別な作品の話をする。

折り曲がりのある木の板の上に、球体がいくつも乗せてある作品の話である。

オジャラ「球体をどのように斜面に乗せているのかというのが気になったのよね。どうなっているのかを見たらさ、球体に棒が刺さってて、板には穴があいていて、その穴に棒を入れてあるだけなんだけどね、遠くから見たときの造形はなかなか面白かったよ」

彼女は早速こんな作品を提案する。

オシオッサ「例えばさあ、丸イスの穴に、球体を置いておくじゃないですかぁ。同じように、棒を差しておいてもいいんですけど、そんでもって、テーブルには、棒を刺す穴もあけておいてですねぇ」

ああ、ワクワクするぜ。

彼女の話によれば、イスの上に乗っている丸いボールは、イスを利用する人が、テーブルの上にある穴に差し込んで座るのだそう。

そうして、イスを利用し終わった人は、そのボールをイスの上に戻す。

まあ、そういう作品なのだという。

イスの数よりも、テーブルの穴の数を少なくしておくと、どういう事が起こるのか?

オジャラ「イスはあるのに、ボールを置く場所がないから、座れないじゃない」

オシオッサ「その人は、手にボールを持ったまま、利用するってことになります。」

オジャラ「そうねえ、混んでるんだから、それぐらいしてもらってもいいわよねえ。

それにしても、イスにすわるために、ボールを手に持ったまま、コーヒーを飲むってなんかおかしいわねぇ。」

とは言ったものの、この面白さに気づかず、怒って帰っちゃう人もいるんじゃないかなあ。

まあいいか。折角だから、創作にも参加してもらわないとなあ。

この作品の何処が面白いのか?

そりゃあアナタ、

来た人がイスにモノが置いてあるから、座れないでしょう。

それを、座りたい人がどういう動きをするのかを店員さんが見て楽しむ作品なのよね。

店番ってヒマだからね。

たとえば、沢山ある穴の中の、どこにそのボールを刺すのかとかさ、手に持ったまま飲むのかとか、もしくは、転がりそうになりながら、机の上に置こうとするのかとか、そういう話よね。

テーブルは、玉がころがるように、少し傾斜をつけておくことにしよう。

というように、全くテーブルの機能から離れてゆく。ああ、これがアートなのね。笑。

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