◆◆◆ 862 ★ 片岡鶴太郎展、池袋東急ハンズ ◆◆◆

銅板画作田富幸センセイのサイトはこちら/
今、文房堂のアートスクールで小口木版を教えてくださっている長島 充センセイの応援サイトができました。

2007.2.24

オットと散歩したときのスケッチ

今年は、まだ請求書も作っていないからなあ。(一年分!)

早く送らないとなあ。

決算の書類というのも、もうそろそろ整理をしなくてはならないし。

時間というのは、いつも不足していて困る。

今日は、「歩こうあだち」の観光マップが刷りあがる。

刷った作品を取りに行くのと交換に、請求書を置いてくる。

現金払いもする会社だが、こちらも、現金で頂くと記録が残らず、決算なんかが面倒なんで、振込みでお願いしている。

振り込まれた額だけ計算すればいいので、カンタンなのである。笑。

額が少ないというのを除けば悪くない。

どちらにしたって、ここ何年かでは一番稼いだと思う。

嫌まあ、もっと、頑張れば仕事も取れるんだと思うけどね。

あんまり頑張りたくもない。

何かをやろうというときには、お金が必要である。

全て自己資金(というか、親の金だけど)というのがスゴイ。

確定申告しないとなあ。

来週だな。

この前の銅板画のお教室のときに、新作を作る。

オジャラよ、年賀状はどうした、年賀状はぁぁぁっ。

ギャラリーのオープンのときに使うことに。

人生というのは、何事も予定通りには行かないということのようである。

それにしたって、掃除をしたり、荷物や、ガス・電話なんかのお兄さんと待ち合わせたりしていて、思うことしきり。

ここには書けないというのが残念だ。

それにしても、ママばかりの飲み屋街というのにも驚くよね。

結構昼間からカラオケ熱唱のオジサマ多数。

地の果てという世界。

いやまあ、昼間はね、それだって静かで、何もかもが、まるで眠っているような場所なのである。

地の果てには、地の果てなりの暗黙があり、それは普遍なのだと思わされる。

昨日、は池袋で、片岡鶴太郎展へ。

オットは、「こんなに描いているのに、あんまり上手くなってないね」

などと言う。(アタシはそうは思わなかった。)

画材のお値段だけはアップという内容で、私にしてみれば、描いたものが勝ちだと思わされた。

ろうけつ染めの着物や、陶芸、沈金などの作品にしたって、あんなに制作に打ち込めて幸せな人だと羨ましかった。

よい画材をふんだんに使えば、どんな絵だって後世に残ってしまう。

画材の値段の話は別にして、良い絵にしようという欲が出てきたとき、本物の画家になる。

良い絵とは何か、創作とは何かと考えるとき、画家の絵は変わる。

それは、明らかなる変化を遂げ、見る人は、その進化を見逃さない。

だから、創作の世界というのは奥深く、芸術家などと気安く名乗ったりはしない。

松田権六の考え方も、一貫して、デザインの力、描画の力が作品の根底にあると本に書かれている。

文字で見聞きするだけでなく、真意を自分で理解し、自分の世界を手に入れようとしたものだけが手に入れられる世界、それが、デザインの力、描画の力ということになる。

見るほうが、作るよりも、ずっとカンタンに、その世界を見分けることができるのである。

オットは、刷りあがった、あだちのパンフレットについても、「絵が荒れている」とボソリ。

彼は手厳しい。

表紙のイラストは4度、裏のマップについても4回、メインのマップは二回作り直した。

まあ、仕方が無い。自分の実力というのは、印刷物になって残ってしまう。

1万枚も配られてしまうのだ。

受け入れるほかない。

鶴太郎展のあと、サンシャインのハンズに行き、インポートマーケットを冷やかす。

ワクワクと楽しみにしていたのに、閉店しても仕方が無いという品揃えに、オットと私はガッカリしてしまう。

人間の趣向というものは、どんなに良いものにも満足などしないということであり、物販の大変さに同情。

そのあと、ハンズでドアのノブを見て、ウルシコーナーで「新うるし」なる品をゲット。

ウルシの扱いをまとめた300円の冊子も購入する。

道具の手入れの方法や、乾燥棚の作り方なんかもかいてあって、実用的な品である。

本うるしは、よっぽどのことがないと使わないと思うけどね。

でも、その耐久性やツヤの話を聞けば、到底無視することはできない。

Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara.
Copyright (C) All Rights Reserved by Rica Ojara.