◆◆◆ 841 ★ 国立博物館 ◆◆◆

2007.1.27

オットは、まだ一度も、国立博物館に行った事が無いというので、一緒に行くことにする。

「故宮より、作品がしょぼいね」

というのが、オットの感想。相変わらず手厳しい。

「国立博物館は、あの展示物じゃダメだぜ。」とダメ出しまで。

嫌まあ、そんなこともないと思うけどさ、確かに、豪華さに欠けるよね。江戸東京博物館の方が、よっぽど楽しめる。

じゃあ、故宮の展示品の何を覚えているのかといえば、

「ヒスイの白菜」

一点だけのアタシとしては、全くビミョー。

何を見ても、たいして覚えていないのだから、もう行くのを辞めたらどうだね?

と思いながらも、行かないよりはいい。

展覧会に足を運んでいるうちに、作品の力というのは、物凄い上がってきたと思う。

自分の作品の、完成度をどこまで上げられるのかというのが、作家の目指すべき場所である。

美術館級の完成度がどこにあるのかが解らなければ、そこまで作品のレベルを上げることもできない。

であるからして、まず、どのレベルにまで上げなければならないのかを学びに行っているということになる。

そういう中で、小さな品を見ても、その造形や、陰影の深さ、何で作られて、何で仕上げられているのか、そういうのを考えながら見るというのは、本当に創作の源となっていると思う。

よく、自分の専門分野の展覧会しか見ないという人がいる。

それは、本当にどこにでもいて、陶芸なら陶芸だけ、版画なら版画だけ、イラストならイラストだけ。

という話である。

ずいぶんと損しているなあと、アタシは内心思うが、そんなことを言うと、会話が盛り下がる上に、嫌な女だと思われるので、「好きなモノを見ている時間が一番楽しいですよね。」などと愛想笑い。

アタシが書や陶芸の展覧会も見に行くようになったのは、別な事情もあるんだけど、見に行くことは、本当に勉強になる。

アナタは、書とは何かを考えたことがあるか?

陶芸とは何か?

漆器とは何か?

芸術性は何処にあるのか?

まあ、展覧会を通して、そういう話を考えているのである。

ブロンズの、外国の人が作った彫像が置いてあった。

ああ、なんという陰影の深さなんだろう。

深く掘られた眼の奥の黒が、くっきりとその女を表現している。

まるで生きているような彫像である。

これが美術品というものである。

表現の方法というのは、多様であり、創作者には、どんな材料を使うのかというのを選ぶ権利がある。

であるからして、どんな材料で、何を表現するのか?

それが、作品の全てということになる。

私がイロイロな品物を見て歩いているのは、自分が表現したいものは、どんな材料が最も適しているのかを模索しているということに他ならない。

例えば、木彫をやりたいと思ったって、いきなりはムリである。

木彫は、粘度や陶芸のような、プラスの技法とは逆行する。

材料の塊を削っていき、創作を進める、マイナスの技法ということで、いきなり作ると、必ず失敗するのである。

アタシは、どんな方法で、あんなに生きているみたいな彫刻を作ることが出来るのか、ずっと知りたかった。

先日、平櫛田中という人のテレビ番組を見て、初めて理解することができた。

まず、粘土で塑像を作り、それを石膏で型取り。

星取り機という道具で、木に、塑像と同じ点をつけて彫刻をしてゆくのである。

何が言いたいのかといえば、木彫を作るには、まず、粘土で塑像を作れる技術が必要だということだ。

だから、木彫とか、石彫というのは、ずっと後の話になる。

もし、道具を使えば誰でもが、全く同じものが作れるのだとすれば、自分で作るのは、塑像まででいいということになる。

だけど、塑像だけは、自分で作れるようにならなければならない。

そういう話なのだ。

アタシは、やみくもに展覧会に行っているということではなく、どの展覧会を見たときにも、その作品がどうやって作られたのかを考える。

嫌まあ、ほとんどの場合、見ただけで、それがどんな材料で作られたのかは解る。

だけど、ときどき、解らない作品に出会う。

そういうときには、必ず、どんな技法で作ったのか、もしくは、どんな材料を使ったのかを確認しているということになる。(聞けるときはよ、モチロン、解らないままということもあるけどさぁ。)

例えば、カシュー漆を使って、油彩と混ぜたら、どんな作品になるのかとか、固まった油絵の具を砕いて、カシューと混ぜて、タンスの装飾に使ったらどんな風になるのか。

そういうことを考えているということになる。

世に出るための第一歩は、新しい表現を確立できるのかどうかという所が、もっとも取り上げられやすい。

ま、テレビ番組なんかを見ていると、そんな傾向かなあ。

有名作家を研究するとね、「新しい表現」って、出来ている人は実は物凄い少なくて、「独自の世界」っていうのは、まあ、フツー。

独自の世界は最低必須条件ってことになる。それらが無い人が世に出たことは無い。

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