◆◆◆ 837 ★ 美術手帳を買う ◆◆◆

2007.1.20

通称BTと呼ばれている、美術家向けの雑誌。

毎月、ブックオフで新刊を出す人がいて(謎爆)、1600円のところ、700円で販売されていた。今回のテーマ、

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「「アーティスト」になりたい!

でも「アート」を職業にするのはとてもむずかしい。美術大学を卒業したからといって「アーティスト」になれるわけではない。ましてや、「アーティスト」だと名乗ったからといって「アーティスト」になれるわけでもない。

では、「アーティスト」になるということは、いったいどういうことなのだろうか?

もちろん、いい作品をつくることが「アーティスト」にとって基本であり一番大切であるということは、たしかなことだ。しかし、職業としての「アーティスト」には、それ以外にもやらなければならないことはたくさんある。

「アーティスト」としてキャリアを積む。「アーティスト」として収入を得る。「アーティスト」として社会に参加する。

その一つひとつが、マニュアルのない、その人だけの道のりだ。その中で、あなたの目指す「アーティスト」は、何をするのか、どうあるべきか、一緒に考えていこう。」

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なるほどねえ。「職業としてのアーティストって何なんだろう」と思ってさ、買うことに。

なるほどぉ、雑誌だから無難な話でまとめあがっているぜ。それは仕方が無いことなの。アート業界の人は、その中で生きなきゃいけないからね。

よくよく読めば、文を書いている人とか、評論している人も、アーティストと名乗るフリーターだとか書いてあるし。ですよねぇ。

踏み込みきれず「職業としてのアーティスト」が良く解っていないとか、「金の為であれば、芸術は放棄しろ」などと書かれているワケで、こんなの読んでると絵が描けなくなる人もいるだろうと思えてくる。笑。

そうして、ある意味、この本に書かれている内容から勘案すると、アタシは、すでにアーティストということになる。

であるからして、もう買うこともないだろう。勉強にはなったが、創作の参考にはならなかったし、谷内六郎先生の図録でも見たほうがよっぽど絵のためになる。ということである。

この本の中で、唯一「芸術家は作品で勝負、話はそれからだ」と書いていたのは、漫画家の信濃川日出雄さん。

おおっ、アタシがコピペした、この雑誌のサブタイトル

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いい作品をつくることが「アーティスト」にとって基本であり一番大切であるということは、たしかなことだ。

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にも入っていたぜ。気づかなかった。

そこだけなの?

ま、そういう話よ。

アーティストとして何をするのかとか、どうあるべきかという話は、他人に助言をもらったからといって、そうなるものでもない。

ましてや、自分がどんな作家になるのかは、誰かと一緒に考える話でもないでしょう。

自分で決める話ということよ。

本の中で、たく(木偏に石)植響きさんという方の文で、中ザワヒデキさんというアーティストの話が書かれていた。

彼は、医師でありながら、イラストレーターもしていた時代があり、医者よりもイラストの方が儲かっていたという話。今は、その金を食いつぶして、「芸術のための芸術」を作られているのだそう。

そんでもって、「収支バランスを考えるのであれば、<芸術のための芸術>をやめるほうが正しい」と話されていた。

なるほどお。稼いだ経験のある人の話には心を動かされる。まあ、この方は、また医者に戻れば稼げるしね。

稼いだことの無い人の話とは違うってことなの。

そういう、人生のバックボーンって創作に関わってくると思うよなあ。アタシだって、金を稼ぐ気になれば、前よりは落ちたとしたって、人よりは稼げるという自信があるもの。笑。

でもさ、そういう忙しさからはもう引退したわけよ。

若冲も40歳で隠居。(彼の場合は、最初から家業を手伝ってはいないニート状態だったみたいだけど。笑)

ま、これからまだやりたいことができる力が残っている頃ってことなんだと思う。

この文の中で、中ザワさんは、「自分の経験からも、人生の明暗を分けるのは、「アーティストである」という「決意の量」

だと語られている。それには同意。

アタシも、画家になろうと決意をした日があった。

それが何月何日なのかは覚えていないけど、もう、人の為に生きるのはやめて、自分の作品を作ろう。

そう考えた日があった。

それは、ハンパじゃない決意であり、バブルOLの王道を捨て、ゼロからのスタート。

アタシは、アトリエに全財産を注ぎこんだということになる。(少し借金もあるのよね。返済中。)

嫌まあ、それ以外の事情もあって、結果的にそうすることになったんだけどさ、結果的であっても、それが「決意の量」って話なわけよ。

まあ、決意の量だけではね。

画家になるなるなどと言いながら、まだなれてないし、最初の頃は、たいして絵も描いていなかった。

恒常的に絵を描くようになってから、確信のようなものができてきたことには間違いが無い。

総合的に考えると、今の立場は、隠居生活ということになる。

又の名を「道楽娘」ともいう。どう考えても娘は厳しいなあ。

自称「道楽オババ」でどーよ。

ま、そんな感じかなあ。

「アーティスト」というには、作品がたいしたことないし、バイトと呼んでいるイラストレーションやエッセイは、余りにも収入が少ないし、フリーターと呼ぶには、働いてないけれども、オットから小遣いをもらっているということでもない。

まあね、生活費がかからないからね。

やっぱ、主婦ってことなんだろう。

決意の量とは違う話になりつつあるが、ある程度、金が稼げるようになるまでには時間がかかるので、家族の援助や自分の持ち金(や家族の財産まで)を食いつぶすというのは、まあ、フツーの話である。

「金の量」、「決意の量」は反比例  オジャラ句 

驚きの定型。

注:絵の具代、アトリエの運営費と、借金の返済分は自分で稼いでいます。笑。それに、コレクション費用がプラスされています。汗。

ビミョー。

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