◆◆◆ 827 ★ 一日一図案 ◆◆◆

2007.1.7

松田権六の番組を見る。

ああ、工芸品って、こういうもののことを言うんだろうという確信。

彼は、一日一図案というのを毎日繰り返していたのだそうだ。

一日一図案かぁ。凡人じゃないぜ。

彼の図案集が本になっているみたいだから、手に入れたい。

彼曰く、作品というのはデザインが全てであり、その上で技術と材料が融合し結果(芸術作品)になる。

ということである。

御もっとも。

もし、作品を良くしたいという欲が作家に出てきたのであれば、必ず素描の力を上げなければならない。

創作の全ての根幹は、意図した場所にスっと線が引ける力であり、優れた作品というのは、その線の上にある。

そうして、そのために、どんな鍛錬を積むのか。それが、画業ということになる。

テレビで拝見した松田センセイのお顔は、本当に作家ですというお顔で、真摯に創作に打ち込むと、人間というのはああいう顔になるものだと思わされる。

もし、品の無い顔や、ギラギラとした欲の塊のようなお顔なのであれば、それは、創作活動ではなく、収益活動をしているということになる。

ま、結果が良ければ、買うほうにしてみれば、誰が作っても構わないんだけどさ。

日本画と洋画の違いって、よくよく突き詰めると、やっぱ装飾性という部分、それから、機能性っていう部分だと思う。

画材が違うのはまあ当然としたって、あの収納力(折りたたんだり、巻いて小さくなる)であるとか、無機質な部屋を季節感とか、イベントに合わせて変化させるという装飾性については、世界に類を見ない品ではないかと思うのよ。

日本画の価格については、不当、もしくは、贋作多数というようなよろしくない輩も存在したりしていて混沌としている。

世界の美術コレクターは、よっぽどのことがなければ、日本画は高すぎて(ニセも多いので)手を出さない。

去年都美館でやった、なんとかさんとか、プライスさんは、別格の金持ちって話になる。

そういうものを排除しても、名を残している作家さんは、やっぱ相当描いているよね。

それは、和紙に顔彩で描画するという、画材の扱いにくさということからも解る。

素人が作ると、線が乱れて結果がよろしくない。

とまあ、そういうことになる。

花鳥や万葉人などを描画すると、その描画の力は展示されたときに歴然となる。

下手な絵は、「これはいけません」というのが、素人目にもハッキリと理解できるという意味である。

線や面(色の塊)で単調化されたフォルムを平面に展開するという作業。

それが、日本画のデザインである。

ミュシャやウイリアムモリスのポスターなんかを見ていても、モチーフ(花鳥)を平面に展開する能力が極めて高く、装飾を前提にデザイン化されているというのが解る。

装飾という域がビミョーに違うというのを除けば、日本の漆工芸というのは、長期に鑑賞が可能であり、日本画なんかよりもずっと扱い易い。

日本画と、漆工芸というのは、非常に近い場所にあるってことなのかもしれない。

作家になったときに、一番求められるのは、どちらにしたってオリジナリティーである。

過去の図案の模写から作られた作品など、誰も求めてはいない。

見るほうにしてみれば、新しい作品や技法が認められる、そういう作品が見たいのである。

だけど、独自のデザインなんて、誰にでも作れるものではない。

それは、テキスタイルでも同じ話で、デザインできる者が一番稼げる。それだけは間違いがない。

「芸」って言葉についてよく考えるけど、「芸人さん」のネタなんかでも、「ああ、またこのネタかぁ。」

などと言われて、次の月には飽きられてしまう。

見る側は、新しいネタが見たい。

とまあ、そういう世界と共通するものがあるということになる。漢字というのは、なんと合理的な情報伝達手段なんだと、本当に字の持つ意味について考えさせられる。

芸人さんのちょっとしたコントだってそんな話なんだから、芸術品となれば、増してや見るほうはインテリでございますという顔をする。

嫌あ、品の無い成金ばかりと言えなくも無い。

ニセを手にしたくないから必死に勉強するとか、もしくは、ニセを掴まされて悔しいから、今度は騙されないように勉強するとか、まあ、そういう世界。

嫌な世界だよなあ。

作品をきちんと見てあげて、新しい何かを感じることができたのなら、その作品は買いですぜ。

テレビなんかで作品の鑑賞方法を学んでいる人には一生ムリだよなあ。

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