◆◆◆ 817 ★ 最も影響を受けた作家-2 ◆◆◆

2006.12.11

私のことを応援してくださる方で、「絵には、(思想とか、)哲学的なモノも重要だ」

と教えてくださった方がいた。

アタシには、その時には何だかよく解らなかったけど、今は解る。

それは、まだ、全部を理解しているわけではないけど、うっすらと解るようになってきた。という感じ。

外国暮らしというのもあると思う。

その経験というのは、私が日本人であることや仏教徒を強く自覚させ、結果、アイデンティティーというものが、「自分がどの国から産まれたのか?」とか、「宗教はなにか」

という所から発するということに気づいたことも大きかった。

創作の思想や方向性を持つときに、自分というものが確立していないとならない。

そうしないと、良い絵にならないのである。

横山大観の展覧会に、彼の、「絵のためには、信仰や哲学を持たなければならない」というような言葉が貼ってあった。

そのときには、そのことは良く解らなかったけど、まあ、そういう話が理解出来てきたということになる。

宗教に関する話というのは、日本ではタブー視されることが多いし、当初の目的とは違う宗教を利用したビジネスも混在していて、一概には言えないが、「仏とは、大きい場所におられ、全ての困った人を救うため、毎日修行をされている」

という根本があるということだけは間違いがない。

信じていない人まで救おうという、その大きさが、他の宗教と違うところで、たいして信心深くもない多くの日本人も、自覚のないまま、願い事があれば、祈ったりもする。

まあ、そういう、祈る側のおおらかさというのと合致しているのかもなあ。

誰でもを受け入れてくれ、救ってくれる。

という説法を作った人はプレゼンの天才だぜ。

どちらにしたって、アタシは、今年、3人の男にたかられた。

1人は、道で、「アンタ、東京の人?昨日、有楽町のガード下で、散々飲んだら、小田原までの電車賃が足りなくなっちゃって、あと640円不足しているんだけど、、、、」

という男。

作業着を着て、ニヤついた、ついていない男に見えた。自分よりもはるかに若い女に、早朝から金の無心というのは全くついていない。

アタシは、餓鬼に供物を捧げる気持ちで、彼に、640円を恵んであげた。

彼が寸借詐欺でも、それが、ホントの話だったとしたって、ついていない男なのだ。

そうして、返ってきたりはしないと解っているお金だが、「国に帰ったら、このお金、神社に入れといてね。」

そう伝え、アタシはその場から去った。

祖父であれば、ゼッタイに助けたと思ったからである。

もう1人は、北千住の駅前で、「ボクは仕事もしていますが、2日間全く何も食べていません。どなたか、お金を恵んでください」と書いた紙を掲げ、立っていた。

ついていない男である。

私は、彼に1000円を渡した。

千住にはホームレスも沢山いるんだけど、まあ、そういう感じでもなかったし、何より、あんなに人が通る北千住の駅で、一体何時間立てば、誰かがほどこしてくれるんだろう?

だが、祖父だったら、きっと、持っている金をほどこしたと思う。

1000円あれば、オニギリが10個買える。

10日ぐらいは生きられるかもしれない。

そうしたら、給料がでるかもしれない。

アタシは、お坊さんとかにも、100円を必ず入れるので、まあ、そういうのに似ている。

お坊さんには恵んでくれる人も沢山いると思うけど、東京にはそういう人は少なくなった。

皆、本当に、金の話で嫌な思いをしているのだと思う。

もう1人は、外国人である。

寒中、コートも着ずにスーツ姿にハードなアタッシュケースを持った男は、ヨーカドーの前で、イロイロな人に何事かを話しかけていた。

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