◆◆◆ 805 ★ スクラップブック ◆◆◆
2006.12.9 |
大竹伸朗さんの気持ちになってみようと、スタートしたスクラップ作品。 今日は、自宅でダンボールにフリーマガジンのカラーページを切り貼りしてゆく。 すぐに、ダンボールは貼紙に覆われてしまい、私は、裏にも作らなければならなくなった。 まあ仕方が無いよね。 だから、厚めの百貨辞典ってことになる。 それでも、足りないというぐらいの勢い。 貼っても貼っても貼るページがなくならないというのは、ある種の幸せであり、何故分厚い本に貼り付けたのかというのが理解できてくる。 |
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雑誌を切り刻んでいると、もう、その記事は色にしか見えない。 赤、黄、ブルー、ミドリ、オレンジに色分け、まあそんな感じ。 それから、人間、時計、漫画、カット、ロゴとかね。 そうして、切るものがなくなると、今度はどんどんと貼り付けてゆく。 このあとに、どのようにドローイングをしたのか、早く、実物を見てみたいよ。 一つだけ解ったことは、この作業に終わりがないということである。 そして、どんどんと時間が過ぎているのに気づく。 ああ、ゴミに、ゴミを貼り付けている場合じゃないんだけどなあ。 そう思いながらも、ハサミを使う手の甲に痛みが走りながらも、作るのをやめることが出来ない。 人生燃え尽きそう。 そんな、単純な作業でも、この人物に、この背景を組み合わせようとか、日本語のゴミを貼り付けた場合、きっと、見る人は文字を読むに違いないと核心し、なにか、笑えるネタを貼り付けようと思ったりもする。いやまあ、作品に意味を持たせようというのとは違う。 |
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ここで養われる感覚というのは、色のや形の配置や構成力かなあ。 どの形やどの色を何処に配置するのか。 そういうのの鍛錬にはなると思う。 金もかからないし、たいした才能も必要としない創作であり、そのワリには、作品を構成する力がついていくんじゃないかなと思う。 絵が描けなくて行き詰まっている人なんかには、特にオススメかも。 考えなくても、作業が進められるからね。 そうして、女性雑誌というのは、無料なのにどうしてこんなに品がないかなあとかね。 男性誌との違いというのがハッキリとあって、女という生き物は、本当にどうしようもないと思ったりもする。 例えば、時事問題とかさ、メカとか、話題のトレンドとかさ、全くそういう記事がないわけ。ああ、品がないぜ。大和撫子というのは、もう絶滅したのかもなあ。 あるのは、コスメ、男の話、恋の話、自分がどうしたら痩せたり、キレイになったりできるのか、流行の服はどうか、アクセサリーは。 みたいな世界。 まあいいか。女が無知で美しくいられるのは、日本が平和の証でもある。 |
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そうして、昔の女学校での教育というのを思い出す。(というか、その筋の連ドラなんかのことを思い出す) 男尊女卑の魔の館みたいな教育だったけど、女が男を助け、家を守り、子を育てる。 そういう、当たり前とも思える教育が、今では懐かしい。 今の女ときたら、「アタシ、苦労はしたくないから(お金持ちと結婚したい)」 の一点張り。 愛の微塵も感じられないその発言に、彼女のシングルライフはこの先も続くのだろうと確信する。 皆、一生懸命に働いて、頑張ってお金を貯めて、家を買ったり、旨いものを食べたりしたときに、嬉しいという感情が湧き上がってくる。 それが、人間の感情というものだと思う。 「楽して金持ちになりたい。」 一時が万事この言葉で済んでしまう時代というのは、本当についていない。 ああ、また説教クサイ話になり下がっている。 オジャラよ、ここは創作活動の日記じゃないのかよ? 創作というのは、人間の根底から溢れ出てくるものであり、人間の良し悪しというのは、必ず作品にでてきてしまうものなのである。 |
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