◆◆◆ 803 ★ バッタ事件 ◆◆◆

2006.12.2

今日は朝から良く晴れた。

ガビガビになったフライパンと、ひび割れた土鍋をアトリエに持ち込む。

そうして、フライパンは白く塗り、土鍋の、割れたフタの一部を鍋の中央に貼り付ける。

土鍋って邪魔だよねぇ。

何処に置くつもりなんだよっ。

というように、アタシも、大分廃材に抵抗がなくなってきた。

ピカソやミロの作品にも、そんなオブジェは沢山ある。そうして、それが高値で売買されていることや、美術館に展示されていることが不思議だった。

でもまあ、土鍋はカワイイ。

白い鍋肌が、まるで女の丸顔のようである。

ああ、なんて太った魅力的な女なんだろう。

そうして、土鍋が女に見えてしまうというのは、アタシも、いよいよ、作家らしくなってきたと思うのだ。

このように割れている。

この作品は、どういう作品かといえば、このような状態で展示する。

そうして、アトリエとか、美術館に展示されている場合、人は、必ず、割れた所から、中を覗きこむ。

それは、必ずそうしてしまうのである。

だって、中に何かがあるかもしれないでしょう。

何があるんだろうと思うのが普通なの。

作品を鑑賞するというのには、このワクワク感が重要である。

隙間から、中を覗くとさ、海老のアタマが出てくるわけよ。

なるほどぉ。

そうして、フタをそっと開けるとさ、顔になってるわけ。まだ描いてないけどさ。

そんでさ、そこにね、バッタがいるわけよ。

ベッタリと貼りついたバッタがモゾモゾしているわけ。

土鍋のドーナちゃん。

足のほとんどがもぎれちゃって、きっと、ボンドから逃れようとして、千切れたんだと思うけど。

アタシゃ、びっくりしたよ。救出したけどけね。

もう長くは無いと思う。

土鍋の中でボンドまみれで死ぬよりは、アトリエの雑草の中でアリに食われたほうがマシである。

そうして、バッタにこんなに驚いている自分に、再び驚くのであった。

この鍋の中に、バッタが描かれるのは確実となる。笑。

人間の喜怒哀楽、驚きなどという心の動きというのは、予期していないという部分から起こることは多い。

創作活動というのは、全く、この、人間を知るというところが原点なんだと、改めてな学ぶことができた、バッタ事件。

これも、土鍋さま(ドーナのお陰だわぁ。し

Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara.
Copyright (C) All Rights Reserved by Rica Ojara.