◆◆◆ 801 ★ 大竹伸朗モード ◆◆◆
2006.12.1 |
大竹さんの番組を見て、一番驚いたのが、大きい業務用ボンドを手で塗って、スクラップにモチーフをを貼り付けていたことである。 おおっ。あんなに大きいボンドがこの世の中に存在するんだぁ。 知らなかったぜ。 しかも、物凄いスピードでどんどんと貼れる。 あのスピード感。 オジャラよ。スティックノリで貼り付けている場合じゃないだろう。 ですよねぇ。 アタシは、早速、金物屋さんでボンドを入手し、拾った百貨辞典「シ-」にスクラップをすることに決める。 百貨辞典ってさ、イロイロな絵が描いてあって楽しいよね。 そうして、絵の部分をはずして、文字の部分に、ポストカードや、展覧会のチラシの絵、領収書とか、海外旅行のパンフレットのホテルの写真なんかを貼り付けてゆく。 なるほどぉ。本のスタイルにスクラップすると、どんどんと沢山作れるわけかぁ。 これがさ、ボードとか、ボール紙なんかに貼り付けようと思うと、面倒なのよね。同時に沢山作ろうとすると、乾燥する場所が必要だしさ。 ま、そっちも作ると思うけど。 アタシは、版画用の乾燥棚があることを思い出した。笑。 |
見開きはこんな感じ。 |
スクラップをはじめて思ったことは、考えるという時間は無いということである。 脳医学者の解説の人は、「精神的」とか、「何を考えて作っているのか?」などという質問をしていたけど、大竹さんは、その話には答えず、 「偶然性」というキーワードで、はじめて、「偶然性ですよね。」 という方向で話を纏め上げる。 何を意味しているのかといえば、何も考えていないということだろう。 それは、アタシが一番よく解っている。 よく、「何を考えながら作品を作るんですか?」とか聞かれるけどさぁ、アタシに聞くのは間違っているよ。 「考える前に、作品は出来上がっている」と答えると、質問者は笑うしかない。 「本当に考えたりしないんですか?」 「そうねぇ。何を描くか(猫にするとか、薔薇とか、女とか)ぐらいは考えるかしらね。あとは、入り込んじゃって、あっという間に出来上がってるけど」 という話。 「あ、そうそう。考えの足りない絵だって言われたことあるわ。でもまあ、考えてないから、仕方ないわよね」 というオチ。 |
パプリカさんの息子さんが手渡ししてくれた花束。 ありがとうございます。 |
もともとたいした考えも持っていないんだから、考えたって仕方ないぜ。笑。 作品の持つメッセージ性とか、意味とか、そういうのを考えるようになってきたわけよ。最近は。 もう少し、そういう作品も作ろうかなと。まさに、そう思っていたところだった。 でもまあ、大竹さんの番組を見た後では、そういう「意味」ある作品なんてものを目指すというのがさ、随分と遅れた時代の創作だっていう風に思えてくる。 作家のスタイルって奴なんだと思う。 ピカソは、実在しないものは描かなかった。 それは、本人がそう語っている。 であるからして、本人がそう言うのだから、間違いがないとアタシは感じるわけ。 実在を描くというのはさ、結果がどんなに実在から離れていたとしても、それは、実在なわけよ。 であるからして、実在しないモノを描いたりはしないという一言はさ、描けなかったのか、描かなかったのかは解らない。 |
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大竹さんの作品だって、「自分の画風」というのが出て来ないようにしている」とか話していたけど、本当はもてなかったのかもしれないと思ったりもするわけよ。
独自の画風というのが出てきて、それが顕著な作品になるのであれば、画家として、こんなにオイシイことはない。 マーケットはそういう作品を望んでいるわけだからさ。 だから、意味があろうと無かろうと、作れるのであれば、そういう作品も作ると思う。 買う側や扱う側にしてみればさ、サインなど見なくても、「これはピカソの絵に間違いありません。」 「これは、マチスですね。」 「これは、ミロです。」 みたいな、はっきりとした独自の世界が描かれていて、それは、カンタンには人には真似できなくて、真贋とそれ以外を見分けられるような、顕著な特徴を持った絵というのが好まれるわけ。 それは、「ニセ」を掴まされたくない。損したくない。 という場所から来ているのよ。 だから、誰が作ったか解らないような作品っていうのは、喜ばれないよね。どんなにサインや保証書があったからって言ったって、ホンモノかどうかは、作品からは判断できないわけだからさ。 |
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