◆◆◆ 794 ★ 当面の予定 ◆◆◆
最近忙しくて更新できないので、オヒマな方は、作田センセイのサイト
2006.11.27 |
今入っている仕事は、 来年の雑誌の表紙イラスト(6ヶ月分をまとめて) というのと、地元の観光マップ作り。 毎月のエッセイの連載1本、 イラストレーター年鑑のジャケットの中身の作成。 まあそんなところかなあ。 バイトが週に二回。 気持ちとして、HPに広告を入れて稼ぎたいというプロジェクト。 来年のカレンダーの作成。 もうすぐ12月だぜっ。おいっ。 まあいいか。新しい絵を少なくとも12枚から24枚描き下ろさなければならないというのは理解できる。 どんな絵を描こうかなあ。 個展には、常連さんや、この前のアートのイベントで知り合った画家さんなどが訪ねてくださる。 プリンタのインクはまだ届かない。 てぬぐいのデザインも、もう少し作りたいんだよね。 絵を描くのは、これらが終わった後ということなのかも。画家になるというのは、大変なことだよなあ。 |
この人、誰なんだろうなあ。 |
ロボッツという映画を見る。 ブリキのロボットの社会で、チタン素材が主流となり、古いロボットがスクラップにされる。 それを、阻止して、自分達の生活を守ろう的な、まあ、アメリカ的な筋である。 古いものは、滅びてゆく運命である。 運命に逆らっても、それは、一時的な話であり、いつかは消滅してしまう。 それは、古いだけだからであり、普遍ではなかったからということかもしれない。 美術番組(現代アート)の後にロボッツを見たものだからね、アタシは、気絶しそうになった。 アートというのは、なんともつまらないもので、人を楽しませようという目的で作られた作品の前には全く及ばない。 ブリキのキャラクターのその数やらデザインの素晴らしさ、街や建物のデザイン、動きの人間らしさ。 現代のアーティストの頂点にいる人たちで作られた映画である。(に違いない) 筋の事を除けば、音楽も、音声も、ああ、何て金のかかった映画なんだろうと、私はその映像から目を話すことが出来なかった。 途中からだったため、何という映画かも解らず、その名前を見るために、5分間もエンディングスタッフの字幕を見続けた。 こんなに沢山の人が制作に関わって、何年もかけて作られたに違いないこの映画と、動きの微塵も感じられない自分の作品との違いに愕然となる。 |
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大竹さんの番組を見る。 現代作家さんで、「この絵は、こういう意味を持っています」的主張がある絵というのは、つまらない。 考えても、何を意味しているのか解らない作品の方がオモシロい。 という意見。 現代アートの発想は、間違いなくここに戻ってくる。 「見た人が何だろうと考える作品」 これが原点だ。(→、今の所の私の理解) その次に、「記憶や印象に深く残る」 というのが続く。 大竹さんの場合には、更に、「日常生活にはあるんだけど、普段は気づかないもの」などを表現したいのだそうだ。 廃材を使って作られているというのは、まあ、アタシと大差ない。 金がないので、そういう風になってゆくアーティストというのは多い。、、、?のかなあ。 |
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人を楽しませるための作品。
自分の主張をする作品。 意味を持たない作品。 意味を持つ作品。 何が正しいということではない。 ただ、どういう方向に進むにしたって、世の中のアートには、様々なジャンルがあり、イロイロな目的で創作している人がいて、様々な作品が存在することを知るというのは悪いことではない。 アタシの、「靴下のお友達」という作品を見て「この作品には意味は無いんですよ」 と解説すると、 「だから何なんだ」。 と答えた方がいた。 彼は、新しいアートの考えを受け入れる間口を持たないので、理解することも無いわけで、そういう人が多ければ多いほど、こちらとしては、意味の無い作品を作る甲斐があるというものである。 現代アート的な発想も、作品の中に組み込まれなければ、どんなに上手く描けたからといっても、世に出ることもない。 それだけは間違いがない。 絵を見て歩いていると、そういう実態があることを無視することは出来ない。 |
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