◆◆◆ 789 ★ てぬぐいのデザイン ◆◆◆

最近忙しくて更新できないので、オヒマな方は、作田センセイのサイトから行ける、

ブログ・ユトレヒト通信を読むように。

2006.11.16

てぬぐいのデザインは、まあいい。いくらでも作れるので心配はしていない。

紗張りと、染めをどうするのかという話である。

紗張りを自分でキチンと作れるようになると、てぬぐい作家としては、かなりの上級者である。

染めは出すにしたって、紗張りを自分でできるようになりたいよなあ。

次に大切なのは、何処に染めに出すのかという話である。

この後、一体どれくらいの作品を手がけるのかは未知である。

そうして、できれば、上代500円とか600円で販売したいのよ。

そうすると、大量に売れるはずなのである。

それが、800円とか1000円でも、まあ売れなくは無い。それ以上だとムリ。

そういう世界である。

特色なんかにこだわるより、作家作品なんだけど、手ごろ価格という戦略が、下町らしい。

であるからして、600円で売っても、利益率50%程度は確保したいという話になる。つり銭を用意するのが面倒なので、できれば500円で販売したい。

あれだよなあ、国宝シリーズとかを作って、国立博物館とかに売り込みに行こうかなあ。

たはは。

採用はムリっぽいけどさあ。

仏像のシリーズというのは作りたい。

この前の3Rフェアのときに、東京電力のスタッフの方が、「国宝は、生きている間に全部見たい」などと、国宝についての感想をのべてくれた。

私にしてみれば、「国宝を全部見る」という価値観に触れたのは初めてである。

なるほどぉ。

国宝を全部見てから死にたいんだ。

「何と言っても、自分達共有の宝」だからなのだそうだ。うーむ。

新たなる価値観に触れたことで、国立博物館の集客のヒミツをかいま見た気がする。

そうして、個展が近づいてきて、一体どうしたらいいものかと思案する。

バリ時代の作品の展示でもしようかなあ。

(結構イイ作品しか持ち帰らなかったので)欲しがる人が続出して、断るのが面倒だよなあ。(→いつも隠している)

オシオッサさんは、新作を展示するって張り切っていたけどなあ。

一体いくらで売るつもりなんだろう???

彼女の作品は、一律200万円だと話していたけどなあ。(→どうせ売れないからという、ヤケクソな理由と、計算するのが面倒という、おおぐくりな性格からその金額に設定されたのだと思われる)

そういえば、(どうせ売れないんだから、)「値段を200万ドルにしようかなあ」という相談を受けたことがあった。それくらいの価値は、将来産まれるかもしれないよなあ。

彼女の作品というのは、時々増えているから笑える。

アトリエに来た人に、彼女の作品を見せると、全員が「これ何ですか?」と聞いてくる。

それってスゴくない?見た人全員が、何だか理解できなくて、解説をアタシに求めるという構造。

だからぁ、意味はないんですってば。

現代的作品を手がけるのであれば、観衆に疑問を抱かせる、謎をかけるというような発想は不可欠になる。

アタシも、もう少し新しい作品を作り進めば、現代作品について、もっと理解も進むと思う。

自分では意味の無い作品を作ったと考えていたのに、実際、作品ができてから、作品に意味が伴ってくることが多いということも解ってきた。

作品の意味というのは、ずいぶんといい加減なものである。

見た人は、それぞれに勝手に解釈し、意味を勘違いして刷り物にしたりもする。

いい加減で無責任。

とまあ、そういうことになる。

ではあるが、作品にたいして、作家がくどくど解説などを残したりしないほうが、作品は、将来的にはもっと自由に存在し続けることができる。

テレビ番組の作家さんの解説と、作家本人の随筆やなにかを見比べると、全く違う話を力説している解説者にアタマにくる。

アタシは、解説者の話をノウミソから除外し、もう一度ビデオを見直して、作家の真意というのを捉えるまで繰り返し見る。

いつかは理解できる日が来るかもしれないし、それは、ずっと来ないかもしれない。

そうして、理解できない試行錯誤の日々の方が、理解したあとよりも、きっと幸せに違いないと確信するのである。

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