◆◆◆ 769 ★ オジャラファン ◆◆◆

2006.8.29

文化村には、不忍画廊の新井さんが出張っていて、先ほど画廊で買い物をした報告をする。笑。(正しい顧客のありかたです。汗)

彼は、同時に展示されていた別な品物を買ったのかと勘違いしていたみたいで、(そちらはとても高い品であり)相当に驚いていた。そんなの買えるはずないじゃないよっ。

その後、新井さんに文化村ギャラリーは借りられるのかという相談をし、会長さんは、文化村の支配人のような方と少しお話をしていた。

やっぱ、借りられないらしい。

当然だよねぇ。

画廊というのは、格式だからね。

カンタンには、ここで展覧会などできません。相当レベルが高くて(金になりそうな人は)まあ、考えてもヨイですけど。

みたいな敷居の高い世界。

アタシは、あのギャラリーにはよく行くけど、展示筋としては、ビミョーということも多いんだけどね。

良いときと悪いときの差が激しい。

でもまあ、あそこに並べば一流作家でございますという気にはなる。

アタシなどは、一生あそこに自分の絵が掛かることはない。まあ、そういう域だということだ。

もう少し絵の力を上げなければ。

芸術の入り口というのは、いつでも大きく開かれたままなのに、なかなか中には入れないでいる。

イラストレーター協会の交流会は、飲み放題食べ放題2000円という驚くべき会場で行われた。

20名程度のメンバーが、自分のファイルを持ち込んで、皆で鑑賞したり、情報の交換をしたりする。

アタシは、スケッチブックに描いた最近の作品を持参したのだが、その作品を見て、「俺、オジャラさんのファンになりました」という人が一人。

バイキングなので、その飲み屋は、食べ物を残すと罰金があり、その罰金は、環境保護のために寄付されるらしいのだが、元気のある人は、残飯を必死に食べていた。

罰金が嫌だからという理由ではなく、バイキングなのに、不必要に取り過ぎたことに対して、残してはいけないという価値観があるためだと思う。まあ、常識的。

そんなもんで、会場の外で話に盛り上がっていたアタシは、バクバクと残飯を食べ進み、その上、残ったピッチャーのビールを人にも注ぎ分けて、一気に飲み干すと、今度は、別な男性が、「俺、オジャラさんのファンになりました」と、言い残してその場を去る。

ファン作りというのは奥深い。

作品のファンはまあともかく、一気飲みのファンができたというのは、新しいファン層の開拓が出来たということなのかもしれない。

猫(ケンキチ)のファンという人もいるしなあ。ビミョー。これって、一体、どういうカテゴリーなんだろう?

まあいいか。ファンだと皆さん、勝手に名乗ってくださるワケだしさぁ。

ファンになるということは、やっぱ、応援してくれてるってことなんだろう。うん。

交流会の前に、ちょっと打ち合わせをして、イラストレーター年鑑を電子化する話を詰める。

概ねまとまっていたのだが、作業をする上で、細かい部分を調整して、値段なんかも決める。

メンバーも増加中で、会としては、大分まとまりができてきたんじゃないかと思う。

皆さんの作品を拝見するのは本当に勉強になる。

アタシの絵を見ていた人は、「この(安い)画用紙に描いているんですか?」とアタシに聞き、

「はい。まあ、そうです。もっと高い紙にも描きますよ。」

「それなのに、こんなに色がキレイなんですか?」

などと、質問は絶えることがない。

あれだよなあ。色がキレイという所くらいしか、褒めるところないもんなあ。笑。

そうして、原画を持ち歩いていたので、「こんな所に、原画を持ち歩いちゃダメじゃないですかぁ」などと怒られてもしまう。

アタシにとって、イラストは作品ではないというコメントはしなかった。たはは。イラストの原画など、売る必要がない。というかさー、売れる作品ということでもない。

印刷物の為に作られた作品というのは、所詮、印刷されてしまえば、その生命は終了するものであり、それ以上を意図して作っているものではない。

であるから、私は販売しないのである。

個人的には、絵画として作成・販売するのであれば、ある程度の時間鑑賞できなければならないと考えているからである。

作品のポートフォリオ作りを進めている。

先端芸術表現のポートフォリオには、どうしてもオシオッサさんの影響が強く出てしまい、誰の作品集だかまったく解らないという状態。

ピンチ。

まあいいか。

彼女のコンセプトは、「創作しない作品」という価値を問題提起作品であり、日本の芸術界に衝撃を与えるものだと思う。嫌まあ、単純に世界レベルから考えると、日本の絵画鑑賞レベルがまだ、1920年代に留まっているという話でさ、遅れているのを、何とか、もう少し普及させたいとかさ、そういう気持ちがあるみたい。

現代アートに触れれば触れるほど、彼女の作品の本質的な部分に驚かされる。

というかさ、そういう本質的な話の方向性は、間違っているのかいないのかを勉強したいから、受験するわけで、学びたいから学校に行きたいというアタシのしようとしていることは間違っていないと思う。笑。

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