◆◆◆ 761 ★ その外の話 ◆◆◆

2006.8.5

地元の観光マップのお仕事は、手がかかる。

が、前から、手がけてみたいと思っていた品なので、アタシは本当に運がいいよなあと思わずにはいられない。

誰でもに回ってくる仕事ではない。

とりあえず、指定された観光地をスケッチしようと、区内の指定場所にでかけ、スケッチをする。

暑いぜ。

やっぱ、外で絵を描くって、向いてないんだよなあ。

しかも、風景なんてねぇ。笑。

向いてねぇ。

まあいいか。こんなことでもなければ、スケッチに来ることもなかったし、風景を描くこともない。

作品作りというのは、本当にご縁のものなのだと思わされる。もう少し幅を広げて、構成能力を高めよという、芸術の神様の思し召しなのだと思わないわけにはゆかない。

そうして、神社やお寺の絵や、有名な木造家屋の絵などを描くのは楽しい。

一番の問題は、これから地図になる場所で、住所しかわからないというところ。

そんなもんで、一生懸命にその場所を探すということからスタートしなければならない。

1日で8個位は回れると思っていたけど、徒歩ということもあって、4箇所しか回れなかった。

はぁ。

今度はバスで行こう。

発音記号、英語教材カットのお仕事とも順調にいただけることなり、アタシは、もう他の仕事は引き受けないことにする。

英語教材のカットは何百枚も描かなければならないからである。

地元のアーティストを支援するボランティア活動というのがまたスタートする。

そんでもって、今回は、スタッフの人が、マルイのギャラリーを区から借り出してくれて、アタシが、その箱を埋めるというののお手伝い(というかアレンジ全般)を任されることになる。

まあ、「オジャラプロデュース」という感じ。

どうなるのかは良く解らないけれども、何がしかのそういう活動は前からしたいと思っていた。

誰にでもできるということではない。

昔、法律相談のテレビ番組を見たときの話。

「私の母の絵が、死後、値上がりしました。それで、その分の財産分を、兄弟がよこせと言ってきた」

という相談です。

権利は絵を相続した個人にあるのか、それとも、兄弟全員のものなのかという相談です。

弁護士さんは、「お母様の亡くなった当時、絵の価値はゼロだった、お嬢さんが、何年もかけて、作品の知名度を上げる活動をしてきた、だから、作品の価値が上がってきたということになります。

作家の活動というのは、作品を作るだけではなく、その作品の知名度を上げるという活動も、作品の価値の中に含まれます。それを誰がやったのかというのが、権利に大きく影響します。今回は、娘さん一人が知名度を上げる活動をしてきたのですから、作品の価値が死後アップしたからといって、その分を兄弟に分与する必要はありません」

というような内容の判例だったと思う。

アタシはそのときに思ったものである。

「画家の才能の一つに、ある程度の社交性は必要である。自分の作品の知名度をアップさせる活動をした作家だけが有名になれる。」

ということをである。

自分の地名度をどうやって、誰にアップさせるというのかが問題だ。

収集家にアプローチするだけなら、美術雑誌に広告を出したり、(実は、作家が金を支払っている広告であるにもかかわらず、)あたかも記事みたいな露出にして褒めてもらえばよい。

税務署の人だって、美術年鑑に値段や名前が載っているからという理由で、有名画家だと勘違いする人は多い。あれは、電話帳のような役割で、広告費を払えば、誰でも掲載できるという話を聞いたことがある。本当かどうかはしらないが、紳士録だってそうなんだから、可能性はある。

どちらにしたって、知名度をアップしてゆくという活動は、作家もしくは家族の誰か、もしくは、応援者の人がどんどんとその人を売り込んでゆくような活動も継続しなければならないということは理解できる。

画業というのは、絵を描くということだけではないのである。

それは、印象派の画家を見ると良く解る。

絵ばかり描いていたなどといいながら、ある画廊がシッカレとプロデュースしてくれて、それなりの知名度になり、世界に知られるようになったのである。

マーケティングが専攻で、ずっとセールスプロモーション畑を歩いてきたのだから、どうやったら知名度を上げられるのかというのは、薄々は解っている。

あまり金が掛けられないということを除けば、地元の地名度は随分と上がってきたと思う。

花火大会の寄付をした人は、花火のパンフレット(20万部)に名前が載るんだけど、アタシの名前は「あじゃらりか」になっていた。

「あじゃら」は、「おじゃら」の間違いなんだけど、印刷屋さんは見逃さない。今日も、また、「あじゃらになっていたじゃない。(ガンガン文句言って)刷りなおしさせないとダメだよっ。」

などとアタシに苦情を言う。

「まだ、知名度が低いから、仕方ないんですよ。もっと良い仕事をして、名前を間違えられないように精進したいです。」などと答える。

それが現実というものである。

たった一文字で20万部刷りなおしになるのも申し訳ない。

別に、そういう理由で寄付をしたわけでもない。

少なくとも、アタシの事を知る人は、名前が間違っていたことには全員気づくし、会った時にその話が話題になるので、それでヨイのである。笑。

人というのは、そこで、アタシの態度も観察するものだ。

「怒鳴り込んで、刷りなおさせたんですよ。」

と言うのと、

「まだ、精進が足りないからです。もっとヨイ仕事をして、知名度を上げ、名前を間違えられないようにしたいです」

と答えるのと、どちらの好感度が高いのかという話にもなる。

人間というのは、そういう部分まで見て人の評価をするということであり、評価のためにそう答えているわけでもないが、そんな小さい話に心を悩ませるより、絵の一枚でも描きたいというのが本音のところである。

絵を描く以外の話は、アタシにとってはどうでもよい話で、一文字の間違いで怒鳴り散らす程ヒマでもない。

Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara.
Copyright (C) All Rights Reserved by Rica Ojara.