◆◆◆ 758 ★ テレビ番組所感 ◆◆◆
2006.8.1 |
テレビ番組を見ながら、クロッキーをすることが増えた。 録画してある番組だから、止めるときもあるけれども、流しながら描くこともある。 下絵をきちんと作るタイプの人も多いけど、アタシの場合、映像をノウミソに焼き付けて、それを再現するというタイプだし、見ながら描いたからといって、似るということでもない。 テレビ番組の作家センセイからは、イロイロなメッセージが飛び出てきて勉強になる。 それは、指揮者であっても同じである。 たぶん、間違えて録画した番組だろうと思うが、なんとなく、指揮者の顔に心が惹かれ、描いてみることにする。 内面表現を手に入れる日は遠い。 でもまあ、こういう練習を積まないと、短時間に人の表情というのを切り出すことは出来ないんじゃないかと思う。 それは、似顔絵というのとは違う。 |
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テラコッタの講習に行くようになって、人間の顔を立体で作るようになった。 そうすると、今まで全く気にならなかった、顔のでこぼこや、深い皺、肉付き、輪郭などがクッキリと見えてくるようになるから不思議である。 平面と立体の違いだよなあ。 アニメーションだって、最近のは3Gである。 何故3Gアニメにシフトしていったのかといえば、動きや、表情が、観衆に伝わりやすいという部分だと思う。 臨場感が全く違っているということに他ならない。 そうなると、平面の画家などは、もう死語ということになる。 生きた化石、というわけである。 |
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とはいいながら、平面も作るんだけどさ。 よくよく考えると、平面以外は、全く金になってないもんなあ。 今日は、久しぶりにアトリエに行く。 例の、発音記号の連作を描き直すことにする。 やはり、印刷物になるときには、フォントの幅や、高さ、文字の太さなどがある程度揃っていないと使い辛いからである。 折角なので、発音記号と同じ発音のイラストを中に入れることにする。 細かい文様も美しいけれども、中に、PIGとか、PEACEなどというイメージイラストを入れる作品作りは楽しい。 作り出すと、アイディアというのは次々と出てくるから不思議である。 そうして、英語発音記号に囲まれて過ごす毎日というのは、ビミョー。 |
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戦争がまた始まったみたいで、心が休まらない。
人間というのは、殺戮を繰り返す生き物である。 それは、他の生物と同じでもあり、全く違うということでもある。 たとえば、虫などは、イロイロと食い尽くすようでも、油虫などを少し残しておいてまた、繁殖させて、食べに来るというような生態系を保っているのである。 そうして、人間だけが、地球を汚し、分解しないものを作り出し、愚かな殺し合いを繰り返している。 過去から何も学んでいないし、これからも、殺戮は続くんだろうと思う。 愚かさというのが人間の根底であり、それを失ったら人間ではなくなるからである。 人間の根本というのは、ついていないと思うことは多い。 そうして、人間らしい人に会うと、アタシは描いてみたいと思ったりもする。 そういう運命なんだろうと最近は思えてきた。 |
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