◆◆◆ 743 ★ プライスコレクション展 ◆◆◆

2006.7.12

下のペン画は、区展表彰式で、関係の先生方をスケッチ。

プライスさんという名前だけのことはあり、なかなかの目利きである。

バーンズコレクションと比較すると、絵のコンディションすこぶるよろしく、質も高かった。

バーンズさんのやつは、作家の名前まで模写とも思える作品大量でそれなりのご予算で、痛い思いもしてきました的展示品であった。

何故アタシがそう思うのかといえば、そういう絵のように見えたからである。

絵の練習と画家の作品との違いというのは、その絵から発せられる力の違いである。

プライスさんは、作家の名前などに囚われず、自分の良いと考えた作品、しかも、50年前には、ほとんど価値があるとおもわれていなかった、日本画に着目し、その素晴らしさを世界に紹介するという活動をされている。

若冲の、どうぶつやら鳥が沢山描いてある、マス目の屏風は、いつか実物を見たいと思っていたのだが、実現する日が来た。

国立博物館よありがとう。

痛みが気になったが、その絵の自由さや、独自性には心が動かされた。

旦那道楽と呼ばれた若冲の恵まれた環境。

材料に困ることも無く、高い絹やら、お高い色などをふんだんに使って描かれたそれらの作品というのは、本当に長期に耐久性が備わっているのだと思わないわけにはゆかなかった。

和紙に描かれた日本画は、どんなに絵が素晴らしくても、巻物として何度も出し入れされたり、長期に展示し続けられた場合、必ず劣化し、紙は応変もしくは、シミができてしまう。

収集家の醍醐味というのは、自分の手に入れられる範囲の作品を、コツコツと集めてゆく。

まあ、そういう世界なのである。

人がなんと言おうと、情報の量など無関係に、自分が良いと信じたモノを、信念を持って集めてゆく。

それが収集の王道というのものである。

そうして、ゴッホの作品をどんどんと集めたクレラーミュラーや、最近千住に出来た、石洞美術館の佐藤さん、おもちゃの北原さんなど、多くの作品を所蔵する力があり、営業能力のある人は、収集品を、もっと多くの人に見てもらうための施設なども作ってしまうのである。

そこまでいかないにしたって、収集というのは楽しいものである。

収集には、なんらかの、筋がなければならない。

たとえば、版画道。版画しか集めない。

なんとも潔い世界である。

もしくは、現代アートのみ。

洋画のみ、まあ、そういう話である。

テレビ番組で目利きという人を何人も見たけれど、どの人も、リッチそうだった。笑。

そうだよなあ。

少なくとも、作品にお金を回せない人には、集めることなどできないからなあ。

この前オペラハウスで見たオペラハウスの美術館を作った収集家の人は、一人の作家さんの作品をずーっと集め続けて、それが結構なコレクションになっていた。

筋が通っているということに、収集家の「あ・ウン」の納得があり、優れた品をいくらで集めたのかというのが、次の話題となる。

5億出して、ピカソの駄作を買っても、誰も褒めてはくれないのである。

どこかの骨董市などで、サイン無しのセザンヌの作品などを、「良い作品だ」などと、買い叩いて持ち帰った人の作品が、高値だった。

などという場合に、収集家の賞賛は集められるということになる。

日本のアート鑑賞というのは、情報の量に司られている。

であるからして、情報の量が少ないと、どんなに作品が優れていても、買うひとはいない。

逆に、情報の質や量などをキチっと露出してあげれば、その狭い世界の群がっている、目の効かない「自称」共が買ってに買ってくれるのである。

マーケットとしては、悪くないよなあ。

それは、化粧品とか、バッグや、ジュエリーなどと全く同じ世界である。

近所の大学生のお嬢さんがバイトを始め、最近では、2万円もするバッグを使うようになったと、おばあちゃんは嘆いていた。

「今までは、どれくらい安く買ったのか」というのが自慢だったのに、今では、「このバッグがいくらだったのか?」という話で、鼻を高くしているのだそうだ。

アイデンティティーがないと、自分の価値を見出せない人間は迷う。

そういうときに、高いモノを身に着けるという行為は、自分が、優れた人になったような気持ちに、心の不安をすりかえてくれるだけなんだけどね。

嫌まあ、良いモノを否定しているということでもない。かといって、バッグに70万円支払って、得意になっている通勤OLは、ついてない人だなとおもうわけよ。

70万円のバッグの人は、地下鉄に乗らないで下さい。自家用車・運転付の人が持つべき価値で、借金をしてまで買う品ではないということである。

アタシなら、マンションの頭金に回し、将来の生活を少しでも楽にする方に投資したい。

絵画にしたって、値段が高ければ、価値があると思い違いをしている人が多い。外国では15万円程度で売買されている品を、ミニスカボリス系画廊にて、100万円で購入し、あとで、苦情をいい歩いている人のようにも見える。

10年ローンなどで、価値の無い作品の残額を、細々と支払っている若い人のことを思うと、心が痛む。

まあ、100万円の版画が世に存在するから、2万円の版画が安いと思えるわけでね、アートマーケットの構造というのは奥深い。

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