◆◆◆ 719 ★ ムナカタシコウ、イサムノグチ展-2 ◆◆◆

2006.6.6

ムナカタシコウにそっくりと評判の

オジャラの50号

この絵に、句をつけてくださった方がいた。

七白人夜はバイヨン種の精  松野かづお

あれだよなあ、風の精なんだけどなあ。

投句ありがとうございます。

タイトル「夜風、種を運びにきた」

2005年に引き続き、美術協会賞頂きました。

ありがとうございます。

話が、展覧会の話からそれてしまう。

私の絵は、良く、「ムナカタシコウの絵に似ていますねぇ」

と言われる。

似てるもんなあ。

相当傾倒しているんだと思う。

そうして、彼の女神様などの、スっと引かれた水墨画の優しいお顔などを見ると、沢山描いたんだということが良く解る。

あんなにスっとは描画できないものなのだ。

(墨が絹地に広がり、描画が難しいの。)

もう少し、自分の世界を作り上げてゆかないと、いつまでたっても、ムナカタシコウの絵と呼ばれてしまうんだろうなあ。

まあいいか。

イケダマスオの絵も、ピカソにソックリな作品ばかりなのに、「ピカソの絵に似ていると、良く言われるが、僕は、ピカソに傾倒していますから(仕方がありません)」キッパリ。

というように、自分から積極的に自分が傾倒しているので、作風が似てしまうなどと公開しているし、見る人が見れば、「ピカソのようで、ピカソではない」

などと、有名評論家センセイも評している。

贋作との違いというのは難しいよね。

売れればいいんじゃないかという気はする。

ムナカタシコウにソックリの版画を作って、似ていると言われながら儲けている版画家がいないわけではない。

イサムノグチは、二回目。

この前の、現代美術館の方が、充実していたとは思うが、横美も頑張っている。

彼の創作活動を紹介したムービーが流れていて、どれほど壮大な工房で作業をしていたのかが解る。

彼は、リアル系(本人に物凄く似ている)の肖像彫刻も作れたため、優れた才能に、アーティスト達が集い、そういう方たちの紹介で、多くのお金持ちの肖像彫刻を作り、その収益で、生計を立ててきたのだという。

なるほど。

クリストみたいに、自分のプロジェクトの素描を売りまくって、壮大な計画を実現させたとか、ニキのように、版画や、椅子、ランプなどを量産し、ニキガーデンを完成させたとか、そういう域なのだと思う。

アートマーケットに於いて、商業的に成功する作品を創った人だけが、もっと大きな作品も作り上げることが出来るということになる。

展覧会巡りは勉強になるぜ。

情報の量が蓄積してくると、理解力が早まり、決断を間違えないようになる。

こんなに絵を描く人が溢れているのに、何故、売買されている作品や、美術館に展示されている作品をもっと研究しないんだろうと思うことが多い。

アートの価格というのは、目に見えないものだと誰かが言った。(たぶん、フジイ君)

目に見えないもの(価値)を扱っているのだと。

「目に見えないモノ」かぁ。

オシオッサさんも、「目に見えないモノを展示する」

と張り切っていたけどなあ。

なんとなく、共通点を感じるぜ。

目に見えないものだから、高くなくてはいけないのだという。

本当にそうなんだろうか?

アタシは、個人のコレクション展という展覧会をいくつも見に行っている。

梅原は、印象派絵画のコレクターであり、彼の展覧会などで、解説者は、「昔は、ルノアールの絵も、ルオーの絵も、(その時代の画家であればだれでも)そんなに高くはなかったので、大量に買うことが出来た」と語っている。

そうなのだ。

手に入れられる価格で売買されていたのである。

そういった品を高値で買う人がいるとすれば、タダの成金である。

まあ、画廊の営業努力ということもある。

やっぱ、ムナカタシコウの絵に似てるよなあ。たはは。

ニキも多少入っている。

好きな作家のテイストに満ち溢れている作品というのは、自分なりにはウレシイ。

ここから抜け出すのか、それとも、このまま行くのか。

そういう試行錯誤の中にいる。

この前、アートのボランティア活動のIさんが訪ねてきて、芸術の話で盛り上がる。

彼は建築家でもあり、メンバーの中では、最も芸術に関する関心が高い。

アタシがウノアキラの画集を出すと、「僕は寺山修二が好きで」などと返してくれる。

そんでもって、「自分の建築を芸術だと勘違いしている人がいるよね」

というアタシの話に

「ホント、困りますよね。居住スペースなんだから、そんな大きい箱作られても、冷暖房の効率悪すぎますって。でも、(自分の作品に心酔していて、)直すことができないんですよね。」

という会話。

自分の作品に価値があると勘違いしている作家は多い。

今は、全員ゼロなのである。

そうして、そういう中でも、ハードルの高い賞を取ったとか、国から海外に派遣されるほどの、作品を残したとか、そういう人の作品だけが、価値を認められてゆく。

かといって、その人たちの作品全てに価値があるわけでもない。

賞を取った作品だけが良いという場合だってあるのである。

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