◆◆◆ 693 ★ 上岡健太さんのエクスビション ◆◆◆

2006.5.4

ケンタさんは、ライブハウスなんかで、ライブペインティングなどでもご活躍。

去年私が見たのは、初のライブペインティングだったらしくて、今年のは数段上手くなっていたので驚いた。

オジャラ「去年のはヘタ糞だったよねーっ。」

ケンタ「去年は初めてだったんっすよ(だから、しかたないので大目に見てね)」

オジャラ「ライブペインティングって、お金払われるの?」

ケンタ「出ても3万円、ギャラは無いときもあります。」

などと、ざっくばらんな会話。

今回は、赤やピンクの面に、クロの線を引いた作品で、その描画の力というのには、毎回全く驚かされる。

もう少し、市販の作品の研究をすると、濃淡のつけ方が良くなってくるのになあ、と、今年も思ってしまう。もったいないぜ。

それにしても、いつも、若い人たちが沢山集っていて、スゴイなぁと。ウチなんか、俳句のお友達中心なので、50代から80代がメインなんだけど。

ケンタ「オジャラさんの、アトリエで個展をするというのは、イイなぁと思いますよ。僕も、そういう意味で、今回、自宅のすぐ傍でやることにしたんです。今までの展覧会も、結構遠くから人が来てくれてたんで、自宅近くでも、アリかなあと思って」

アタシの展覧会にはあんなに人来ないけど。笑。

やっぱ、緊縛ライブペインティングは、集客できるよなあ。(来ているのは普通の女の子だったりもする。)

ま、アタシの場合、あんまりやる気もないもんなあ。

展示中も、絵描いてて、散らかってくるし。

そういう意味では、会期中、ヒマな時間はライブペイント中なんだけどさ。汗。

そういえば、今日は、一発目に、エルンスト・バルラハ展というのを、芸大美術館に見に行ったんだった。

バルラハは、ドローイングから、立体作品を作るような作家さんで、どちらも見れて勉強になった。

ブロンズあり、陶芸像ありで、彼の作品の進化というのを体感できる。

最初は、風景とか、静物なども描いていて、絵が静止しているが、絵のカバーなどを手がけるようになってから、作品に動きが加わってくる。

ここなのよ。

本の装丁とかをやると、出版社の人が助言してくれるのかなあ。まあ、いくら同じ助言をされても、(動きを)作れない人も大量にいるからね、自分で気づくんだろうなあ。アタシもそうだったし。

他の絵なんかを見て、「絵の動き」に対する理解が進んできてね、それ(他の人の優れたカットなんか)を自分の中で消化して、独自の画面構成ができるようになってくるわけよ。

情報の量が蓄積されればされるほど、いくらでも、作品が作れるようになっている。まあ、そんな感じ。(正確には、前から作品は作り続けられたんだけど、作品の完成度や構成力がアップしてきたってことかも。)

それにはね、谷内六郎とか、真鍋博、葛飾北斎、ディズニーなんかも見に行かないとダメなのよ。

プラドやルーブルを見ているだけでは、絵の動きについては学べないということである。

日本に来ている絵はさ、こちらの予算と、先方の学芸員とのせめぎあいだからね。

向こうは、価値ある絵は、そんなに出したくないのよ。ゼッタイに痛むからさぁ。

こっちにしてみれば、予算の範囲内で、展覧会場を満たさなくてはならない。更に、客寄せパンダ的作品を数点借りられれば、残りは、たいしたこと無い絵も、抱き合わせで大量に借り出して展示ってことになる。

ということは、見させられるほうは、名画数点と、駄作や習作の何百点を見るために金を払っているということなわけ。

バルラハの素描は、後半、動きに加えて、独自のフォルムなんかも出てき始めて、ああ、1900年を越えた頃から、作品が芸術になったんだ。

アタシはそう確信した。

素描を元にした立体作品も、最後の展示物は、天井から吊るす構造に。

キリスト様を飛ばしたい。みたいな。

飛ばすよなあ。

アタシも、天使の粘土細工(紙粘土の作品は、滅茶苦茶軽い)を、天井から吊るすかなあ。笑。

天使の紙粘土作品は売れるかもなあ。

いくらで売るよ?

うーむ。絵よりも時間かかってるんだよね。

びみょー。

銅版画と同じくらいの値段ってことで。笑。

素描が一番安いというのがアトリエオジャラの特徴ってことで。

初期から、晩年までの作品を時系列に展示すると、作家の成長というのが良く理解できる。

というのはよく解った。

後半の作品群は、どの絵も動いていないということがなく、構図も大胆に変革していった。

まあ、絵をブチ壊すっていう人ではなかったけどね。

だから、知名度も、イマイチパっとしないわけよ。

絵をブチ壊したりもするとさ、さらに脚光を浴びるという構図なのかぁ。納得。

理由は、絵というのは、誰にでも壊せるという話ではないからなんだと思う。

公募展なんかにも、キュビズム風の作品がいくつも出ていて、どれも、ピカソのパクリにしか見えなくて、それでも、その程度の作品だって、作るのが大変だって話なわけ。

売れないんだから、作るのはよそうと思いながら、勝手に出来上がっている裸婦の作品が並んでいるアトリエの壁面を見ると、複雑。

おっ。左上のラインのステッチが欠落。サインが入っていないぜ。

というように、ときどき、自分の作品を見直すと、未完だということを思い出す。

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