◆◆◆ 682 ★ 展覧会所感 ◆◆◆

2006.4.22

新作家展で、ヤギ姉さまとの会話。

姉さま「それにしても、(展覧会を)よく見に行きますねぇ。」

オジャラ「私は独学なので、一流の作品を見ることが絵を学ぶことなのです。見に行かなければという欲求は、まだ、何か、理解が不足しているところがあるからなのだと思います。」

姉さま「私ぐらい長い間絵を描いていると、もう、絵を見ても、何も入ってこないですけどねぇ。変われる部分は僅かです。」

オジャラ「姉さまの作品には、確固たる哲学(理想とする女性美の追求)があり、それに向けられて作られてますから、それで良いのだと思います」

姉さまは、お忙しい中、私のHPをいつも見てくださり、絵の成長を見守ってくださっている。

この話は、私にしてみれば、全く驚くべき話である。

姉さまのような優れた作品を作る方が、私のような稚拙な作品を見てくださるというのが、まず奇跡という話。

ヤギ姉さまは、ご交流が広く、知人も多くて、そういう交友関係というものは、作品についてくるものなのだということも学ばさせていただいている。

この前の、OMの猫展の作品も褒めてくださり、私にしてみれば、本当に稚拙で、もう少し安定して作品が作れるようになりたいです。などと、愚痴にも聞こえる抱負を述べたりもする。

イロイロな人と、そういう話をしたとしても、その真意を理解してくれる人は多く無い中、姉さまは、どういう話なのかが解って下さる、数少ない理解者ということになる。

ミツコシの展覧会の後、絹谷さんの画集を買うかどうか迷っていると、「アートトップ」VOL209特別版というのが無料配布されていた。

絹谷さんと、青柳(国立西洋美術館館長)さんの対談と、絹谷さんの絵で綴られた冊子である。

私は、これを頂いて満足してしまう。

内容はもっと素晴らしかった。

私が今日の事を忘れない為に、キーとなる言葉を引用させていただこうと思う。

絹谷「若い頃は古いモノが嫌だという気持ちがありましたが、いったん外に出ると、新しがっている建物がいかにみすぼらしいかが解ってきた。---中略--- イタリアで仲間の絵描きや画廊の人たちと接触していると、もう後ろ向きの考えはいらないと皆言う。だから、過去からの考えは山ほどあり、そういうものに学びながらも、ただそれを写しているだけではいけないという心づもりができました。この偉大なるイタリアの古い歴史には進取の気性がないと太刀打ちできないと思いました。」

青柳「ボクは美術史でギリシア・ローマが専門ですが、あの時代の彫刻家や画家は幸せだったと思うのです。というのは、どんなものを描いてもきちんと作りさえすればそれで評価された。ところがその後の画家や彫刻家たちは同じものを作ったら古いものの真似だと言われてしまう。自分のオリジナリティーを新たに創らなくてはならない。古いストックがたくさんあるところから出た芸術家はそれだけ過去のことを知っていて、かつ独自のものを作るわけですから凄まじい苦労がいるんじゃないかと思う。けれど、できあがったものはどこにても通じるということになるんじゃないでしょうか?」

青柳「(イタリアでは、)みんなが楽しんで色を使っていますね。 中略 かれらは何でも遊びとか楽しみにしてしまう。ところが、われわれ日本人は、どんな楽しみでも仕事にしてしまう。笑。その点では、日本人とイタリア人は両極端なんでしょうね。」

・・・・・・・中略・・・・・

絹谷「私も若い頃は一生懸命やるというのが得意だったんですけれども、最近は楽しまなきゃ損だという感じで。・・・(この中に、自分の絵の中に遊び心を入れているという話があり)・・・センセイのお話のように、素晴らしいイタリアの自転車に乗って、また若い頃に見た風景を見に行きたいですね。」

イタリアかぁ。アタシもまた行きたいよなあ。今度は、文無しでローマ入りということだけは避けたいぜ。

絹谷さんの、「カンツォーネが聞こえ、自由の風がさっと吹いているような気がして、これは、天国に来たんじゃないか、そのくらいに感動して、夢心地でイタリアに入っていった」という感想とは大きく違うことが気になるが、過去は描きかえることができないというのが残念だぜ。

この対話のまとめというのは、「古いものを数多く知らなければ、それを超えたオリジナリティのある作品は作れない」

という事実。

「過去からの考えは山ほどあり、そういうものに学びながらも、ただそれを写しているだけではいけない」

「自分のオリジナリティーを新たに創らなくてはならない。」

「そういった創作活動であっても、遊び心を投入したい。楽しみたい」という意思を持った創作活動をしている。

ということに集約される。

作家がそのことに気づいた瞬間から、芸術への取り組みというにがスタートするということになる。

そう。「自分のオリジナリティーを創らなければならない」「何か、楽しいモノを投入する」という二大テーマに気づくということが、芸術家のスタート地点なのである。

その後、過去の作品に触れ、近代の作品にも、現代の作品にも触れ、自分の作品が新しいものなのかどうかを確認しながら、作品作りというのは進めてゆかなければならないということになる。

であるからして、見る側は、「この作品の中に、新しさがあるかどうか」ということだけに着目すればよい。

古いモノ、最近のモノなどの情報を蓄積し、自分の情報のデータベースの中に見当たらない、新しい部分がその作品に見られたのであれば、まず、チェックマークをつける。

そうして、今度は、他に似た作品がないのかを調べる。

そうして、その作品の芸術性を検証する。

そういう流れになる。

という話をいくらしたとしても、アタシの絵を見て、「私の友達は、花の絵を写真の絵のように描けて、アナタの絵より上手いわ(こんなにヘタなんだから、画家になるのはやめた方がいいんじゃないか?)」などと、真顔で助言をしてくださる全く知らない方の親切に、私は、そうですねぇ。もっと勉強します。

などと、丁重に、笑顔で答えなければならないという現実が繰り返される。

早く千住から離れたいぜ。

Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara.

Copyright (C) All Rights Reserved by Rica Ojara.