◆◆◆ 674 ★ 英語教材のカット ◆◆◆

2006.4.16

地元の出版社さんで、(以前もお仕事を頂いた先であるが)今度英語教材の内容を改訂し、カットも全部差し替えるので、やってみませんかと、お声を掛けていただく。

200枚とまとまっているので、金額もまとまるし、どうせ絵は毎日描いているので、お断りする理由はない。

まず、更にその上の出版社さん(最終的にお金を払って下さる人)のオーケーをもらうため、カットのラフというのを20点作るという所からスタート。

英語教材のカットというのは、毎度毎度、静かな絵ばかりで驚かされる。

まあ、教材ということもあり、絵だけが内容よりも突出してしまっても仕方が無いということなのだろう。

手のひら程のカットではあるが、イラストが入ることによって、英語の理解はずっと進んでくる。

これから、中学三年生になろうという人たちの、英語の教科書の補助教材として、皆さんに見ていただけるというのは、素晴らしい仕事だと思えてくる。

画集などは、趣向性の高いものであり、見る人が、見ようという意思を持ち、画集の一ページを開かなければならない。

ところが、教科書というのは、英語の時間になれば、全員が開かなくてはならないのである。

凄いよなあ。

それにしても、描けるんだろうか?大汗。

描いたことないんだけどなあ。

絵の幅を広げる為には、良い機会だと思う。

イラストレーターというのは、お客様の注文に応じて、作家の意思とは関係なく、何でも描けないといけない仕事だからである。

世の中には、何でも描けるイラストレーターというのも存在する。笑。

アタシは、そういう人を沢山みているのよね。気絶。

余りにも凄すぎて、深く考えないようにしているだけである。

そうして、そんな人であっても、仕事に困っているという実態に、また驚くのである。

今回のお仕事の場合も、コンペなのかなあと思い、念のため確認をする。

そうすると、私がダメであれば、他を探すということのよう。

採用担当者の物凄い強い推薦により、私にチャンスが来たということになる。

まあ、イラストレーターというのは、いくらでもいるわけで、誰が描いても大差の無い作品であれば、発注担当の人が、個人的に、是非、この人に仕事を回してあげたい的な発注が中心ということになる。汗。

そういう、ご担当の方が、応援して下さるという、特別な事情がないと、採用されるというのはなかなか遠い場所にあるということだという意味だ。

私がムダに営業に行って、仕事を取りに回ったりしないというのは、このことが理解できているからである。

どんなお仕事でも、 コツコツ積み上げて、実績を作れば、それは、先方との相互の信頼関係となり、また次のお仕事があったときに声を掛けてくださる。

それが、この世界の仕事の流れなのである。

嫌まあ、他のどんな仕事だって、そういうものだと思う。

最初はお試し、次は、もう少し良い仕事、そうして、その次は、もう少し大きい仕事へ。

世の中というのはそういう順番なのである。

4/17

20枚のカットをやっと描き上げる。

一番苦戦したのは、サッカーボール。

はぁ。何枚失敗したことか。難しいぜ。

次に苦戦したのは、ピアノを弾いている女性。

それから、野球の風景。

それでも、サッカーボール程の苦労はない。笑。

前の人の絵を見ながら描けとか言われても、時々飽きてしまい、自分の絵も入れてみる。

この程度ならオッケーかなあと思いながら、前の人の絵を真似たりして(真似るようにとの指示アリ)だんだん、真似が巧くなっている自分が怖い。笑。

カットは、結局、サインペンで均一な線を作りつつ、墨で色を塗るという方法を採用。

均一な太さの線で縁取られていると、縮まったときに、画面が引き締まるからである。

まあ、いつも自作のペンで描いていて、それよりはずっと安定した線が作れる。

であるからして、アタリ無しにサラサラサラというモード。

絵を描くというのは、指定された文字を映像化する作業ということであり、俳句というのは、本当に絵を描くという作業の前段階なんだと思えてくる。

しかも、(句作を通して)瞬間表現について、いつも考えているので、例えば、「趣味はピアノです」というつまらない文であったとしても、イラストは、ピアノを弾いているというシーンになる。

グランドピアノでは大げさなので、アップライトにしようとか、そういう構想を練りながら、一枚一枚を仕上げてゆく。

それぞれに瞬間表現を組み入れてイラストを作ることは、今後の私の絵画制作に、きっと、劇的な変化を与えてゆくと思う。200枚のイラスト完成後のアタシの作品が楽しみ。きっと、もっと上手くなっているに違いない。

アタシには、その確信がある。

そうして、カットでありながらも、こういう絵が描きたいと思いながら、なかなか表現できないというか、全く稚拙な自分の絵の力にガッカリとしながら、多賀新の世界は遠いと打ちひしがれるのであった。

英語教材のカットが多賀新テイストでも、それはそれで、困るけどさ。

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