◆◆◆ 649 ★ セザンヌ・ゴッホの話 ◆◆◆

2006.3.10

テレビ番組で、気になったキーワードを、少しメモしておこうと思う。

まずは、近代絵画の父、ポール・セザンヌの話。

「自然の中の全てのものは、球と円筒と、円錐によって、形作られている。」と言い、そのモチーフを、単調化し、四角い平面を積み重ねたような絵に進化していった。

ピカソは、「自分が、セザンヌの唯一の継承者だ」と断言したのは、この、絵を破壊し、別なモチーフで置き換える作業を生涯続けたという所にあたるのだと思われる。

セザンヌの絵の透明感というのは、他の絵と比較しても、群を抜いて素晴らしいと、アタシは常々感じている。

その後は、ゴッホの話。何故、ゴッホの絵は、ここまで有名になれたのか?

テレビ番組は、その事について、このようにまとめてくれた。

まず、ヨハンナ(ゴッホの弟テオの奥さん)は、ゴッホの死後、ゴッホとテオの書簡集を読み、物凄く感激する。

そうして、ゴッホの絵を世に出すことを決意。

まあ、ゴッホの自殺の原因は、テオとヨハンナに子供が産まれて、経済的に苦しかったのに、ゴッホの生活費まで出していたため、テオが、ゴッホに愚痴ったためと思われる。(アタシの推定だけどさ)

ヨハンナとゴッホは、金の話で激しい言い争いになり、それから数ヵ月後、ゴッホは精神的に追い詰められてしまい、自殺してしまう。

まあ、そういう現実に対しての、ヨハンナの供養的活動でもあったのかもしれないと、内心思うんだよね。

だからといって、誰だって、世に出られるということじゃないでしょう。

ヨハンナは、まず、ゴッホとテオの書簡を、小出しに、地元の雑誌などに貸し出して、メディアに露出させる。

それから、地元で、ゴッホの展覧会を開いたりもする。

書簡集の出版に関する問い合わせも、出版社からもらったけど、彼女は、ゴッホの絵の才が認められるまで、出版を急がなかったのだそうだ。

そしてまた、絵も売り急がなかった。

絵が散り散りにならないようにするためである。

その後、ある程度の知名度になったところで、オランダ語の本を出版。英訳し、自叙伝的小説、「炎の画家ゴッホ」を出版。

これが、映画かされ、更に、ファンゴッホ美術館が誕生。

とまあ、このような筋である。

映画化とか、私小説化とか、この辺の、絵以外のメディアというのも、重要ってことなのかもねぇ。

アタシも、本の出版の話がきたときに、「ドラマ化されるかもしれません」とか、マナベカオリみたいに、有名になるかもしれません。

などと言われたのを思い出した。

あんな下着みたいな服着て、テレビに出たくないけどなあ。

しかも、「自分で電子本を出版する本」は、ドラマにならないっしょ。なるとすれば、アタシの自叙伝とかさ。たはは。サラリーマン時代の話とか、バリ時代の話なんかは、結構面白いと思うけどね。(→書きませんっ。)

その他、テレビ番組のキーワード、

「ポスターというのは、芸術である前に、広告でなければならない。」

ホントだよねーっ。

ゴッホの言葉

「絵には限りない何かがある。それは、人間の感情を描き出すことができるものなのだ」

なるほどねぇ。

というように、メモ書きは増えてしまい、アタシは、せっせと、HPにそれを書き留めるという作業を続けなければならない。

宇治山哲平

丸・三角・四角の世界。

絵というものは、色と形で自分の全てを語るものであるという極めて解り切った素朴な基盤をもう一度しっかりと確かめたい。

彼の作品は、絵の具に水晶の粉を練りこんで、丹念に仕上げるので、物凄い、マチエールそのものが強いのだという。

立派な作品程静質で強い。その静けさのふつふつたる精神が封じ込まれているからである。

パワーストーン入り絵画かぁ。

幸せになりそうなムード。

独自の世界は、絵の具に自分しか使わない何かを混ぜるというのは、結構、カンタンに作れるよなあと思うこと多し。

色彩の魔術師・パウルクレー

テーマは、色と色彩。

余分なものは切り捨て、大胆に本質に迫ることが大切。線による独自の表現を追及。

「色彩が僕を捉えた。これが幸福というものだ。色彩と僕は一つになった。」

彼は、一万点にも及ぶ作品を残したのだそうだ。

作品の出来、不出来が激しい作家さんだけどね。笑。

なかなか、あのような色というのは、出せないものだよなあと思わされる。

アタシも、色彩は持っているほうだと思うけどね。

激しさからまだ抜けられないんだよね。

激しい気持ちの中で、絵を描いているからなのだと思う。

湧き上がってくる創造力というのは、止まることはない。

そういった、感情のコントロールができるようになると、絵も落ち着いてくるんじゃないかと思う。

意識していれば、いつかは、手に入れられる予定。

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