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2006.2.28

パソコンが壊れてしまったので、とうとう、東京美術クラブの展覧会には行けなかった。

あれは見たかったけどなあ。

安いチケットが入らなかったという、もう一つの理由もある。

展覧会というのも、本当にご縁のものである。

沢山の展覧会全てに行くということはできない。

であるからして、どこかで、諦めなければならない。

行けなかったことを悔やんだからといって、今となっては、その展覧会に行けるわけではないからである。

毎日ブラブラと時間を過ごすより、仕事に追われているという方が、人間らしいとも言える。

クレーの柔らかい線は、いつまでも私の脳裏によぎり、谷内六郎の、シュールなんだけどカワイイ世界というのも、強く印象に残っている。

あのようには、なかなか描けないよねえ。

今日見たテレビは、画商とか、絵を世に出した人の話。興味深いタイトルである。

まずは、印象派の画家のほとんどを世に出したという有名画商の話。

彼は、画商という、絵を扱うというばかりでなく、作家の認知を高めるための、イロイロなサポートを行った。

例えば、絵画を陶器に描かせて、身近なところに置かせたり、版画工房とタイアップして、版画を作らせたりしたということのよう。作品の残り具合なんかを勘案すると、ブロンズなんかも作らせていたと思う。だって、一人では作れないもん。特に100年も前の話なんだからさ。

印象派の巨匠の銅版画やリトなどが大量に残っているというのは、アタシにしてみれば、不思議な話であった。

何故かといえば、銅版画を作るというのには、ある程度の設備と薬品類、専門的な知識が必要だからである。

誰にでも作れるという事ではない。

その辺が、木版画とは違うのよ。

そうして、才能がある人は、リトなんかにも進めた時代である。描くように版が作れて(正確には、そのまま描いた線が版となり)色まで塗れて、あっという間に作れるリトの方が、色彩画家にとっては、稼げるチャンスがあったということである。

その画商の人は、版画にエディションをつけて、版画の付加価値を上げた最初の人だったということである。

アタマの良い人というのは、どこかにはいるものである。

その、エディションの考え方が、未だに、版画を芸術と呼ばせている。

浮世絵なんか、版がヘタるまで刷られて、更に、著作権という概念も無かったので、復刻に次ぐ復刻という世界。

そのまま、襖などに貼り付けられていたに違いないのである。価格は掛けそば価格。

どちらが、作品として幸せだったのかは解らない。

どちらが作家として幸せだったのかも解らない。版がヘタるまで刷られたとしたって、画家に金などは入らなかっただろう。印税という考えなどがなかったから、絵を売り渡して、それで終わりである。

逆に、刷り師とか、彫り師などの分業になり、関連産業まで栄えたことを考えれば、商業的には、成功しているといえる。

もし、柳だとすれば、多くの人に親しまれた、生活の中に溶け込んだ品の方が、価値があると答えたと思う。

芸術の価値というのは、人それぞれだということだ。

作家の立場としてはどうだろう?

作品が希少かどうかとか、芸術的価値があるとか、自分の絵の値段がいくらなのかなど、気になる部分は沢山ある。

そんなことよりも前に、みんな、貧乏だった。

自分の絵を世に出してくれるという男についてゆこうと思う気持ちは解らないでもない。

だが、誰でもが、彼に扱ってもらえたということでもないと思う。

それは、作品に潜む力を、その画商は見抜けていたということに他ならない。

であるからして、作品が先である。

良い作品を沢山作れる力があった。

だから、世に出そうという人も出てきたというところ。

ここが肝心である。

印象派の画家は、スタートこそ、洗濯船という人も多かったけど、その後、それぞれの道を進む。

写実にこだわり続けた作家、目に見えない世界、絵の破壊、独自のフォルム。

興味深いのは、画商は、売れれば、どの人も扱うという体質だというところである。

そうだよなあ。大事なのは、自分の趣向ではなく、お客様が欲しいと思う作品を集められるかどうかである。

この前、不忍画廊に、ゴアサさん他の展覧会を見に行ったときの話。

オジャラ「絵で、もし食べられない(生計が立てられない)のだとすればそれって、職業じゃないっすよね」

アライ「うーん。本当に厳しい世界ですよねぇ」

オジャラ「お蔭様で、パソコンのスキルがありますから、絵を売るということから離れて、生活費は、アルバイトで稼ごうかなという気になっています。」

アライ「絵で食べている人というのは、ほんの僅かだなあと思いますよ」

オジャラ「あれですよねぇ、皆さん、華やかに見えても、例えば売れたとしたって、それでも(生活するには)大変だろうなあと思います」

アライ「(本当に)」

という会話。

オジャラ「そういえば、先日、区の異業種交流のイベントに参加したんですけど、次の日、仕事が二件も来たんですよ。」

アライ「へぇー。スゴイじゃないですか?」

オジャラ「展覧会や、画壇の公募展が仕事につながるということではありませんからね、作家さんも、イロイロな場所に出てみるということも大切なのかもしれませんね」

アライ「どんな仕事なんですか?」

オジャラ「地元の印刷会社さんで、公共系の刷り物のデザインなんですけど、絵なども入れ放題で、多くの方に見て頂けるんです。」

アライ「さっ、サインとか、名前とか入るんですか?」

オジャラ「どーっすかね?ま、入らなくても、アタシのHP見ている人は、絵に気づくと思うけど」

アライ「・・・・・」

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