◆◆◆ 626 ★ 岡本太郎の写真展 ◆◆◆
2006.1.5 |
この展覧会で、一番良かったのは、お嬢さんが、太郎のことを語ったムービーであった。 中でも、一番興味深かったのは、「作品は、自分の手を離れたら、もう、存在しないのと同じなの」 という一言であった。 展覧会を開きたいので、作品を貸してくれと相談すると、収集家は、「図録に名前が載るのが嫌なので、貸さない」 のだと言われるのだとか。 税金対策とか、投機目的で持っているとか、他のコレクション(悪い筋から仕入れた品が)バレるなど、イロイロな問題が起きるということのようである。 そういう理由から、氏は、生前、あまり、作品を手放さない方向だったらしい。 まあ、手元に残っているのはね、マチェットと呼ばれる、実物大の10分の一とかの模型らしいけど。笑。 30メートルのタイルの壁画とか彫刻をさ、自分では持ちきれないもんね。 そういう仕事が来るので、他の作品を売る必要も無かったということなのかもしれない。 |
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娘さんは、建物と一体になった作品についても語っていた。
どの大作も、みんな壊されてしまったのだそうだ。 「公共施設を建て直すので、ビルを壊します。(一緒に作品も)壊しますが、よろしいですか?」 と聞かれてもね、30メートル四方もある作品を壊すなとは言えないでしょう。こちらで引き取る場所があるわけでもないし。 ちゃんとした作品ほど、建物の建て替えと一緒に壊されてしまうのだと言う。 「むしろ、弱いと思える、油絵なんかの方が持たれているのよね」 そうだよね。油彩って、画面は強靭だけど、なんとなく、弱いムードがあって、みんな大切にするから、壊れないんだよね。 |
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そうして、芸術って何だろうと考えさせられた。 日本の、芸術に対する理解の低さとか、コスト重視のお役所体質とか、そういうのが、本当に情けない。 ヨーロッパの人であれば、きっと、作品を残して、新しいビルに、継続して展示をしようとか、どこかの美術館に移設して、大切にしようとか考えたはずである。 そういう、アートを大切にしない社会というのは、教養そのものなのだ。 学力の低下ばかりでなく、そういった、人間のレベルまでも下がってきているのだと思わされる。 嫌、もともとが低いってことなんだと思う。 岡本太郎程の芸術家の作品を、維持できない公共施設もついてないけど、何の対策も取れない私たち芸術を目指す者も情けない。 情けない世の中に、情けない人間が住み、ショボイ作品を売るのに必死になっている。 そんな世の中だから、誰も絵を買ったりもしないのだ。 芸術は生活に身近なところにあるべきだという信念を持ち、巨大な作品を残してきた氏が知れば、激怒したに違いない。 そうして、もっとドライな芸術家であれば、拠点を日本以外に移してしまうに決まっている。 |
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隣では、岡本太郎のビデオが流れていて、それも見る。
「つくるということは、なにかもうあることの繰り返しをしないということである」 彼はそう言い放つ。 この言葉に、芸術の全てのことが凝縮されている。 平面での創作活動に囚われていてはいけない。平面でも、まあ、誰もやっていない方法の表現であれば構わないんだけどさ。 固定の概念を自分の中から取り去り、全く新しいものを作り上げること。 それが、現代の芸術家に求められていることだということである。 目指しているところが、画家ではないのであれば。である。 そういう、芸術家としての意図を持ち、作品を作っているのかどうかというのは、作品を見れば解る。 そうして、そんな作品というのには、滅多にお目にかかれないという現実もある。 |
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