◆◆◆ 600 ★ 2006年新春特大号!600会記念 ◆◆◆

2006.1.1

昨日、旅館オババに趣味の人と言われてしまった、ゆりの花の絵。

オジャラよ。折角景色のよい旅館に来たのだから、河口湖の絵でも描いたらどうなんだよ?

そーだよねーっ。

宿のエレベーター前に飾ってあったユリを、失敬して、部屋に持ち込んでオイルスケッチ。

リーマン時代に買った小さい絵の具のボックスと、自作の折りたたみ式カンバスを持参した。

花を見ながら描くよりも、見ないで描くほうが完成度が高いというのが、アタシの絵の特徴である。

頼むから、人前で描かないでくれよ。みたいなね。

今日はここまでにして、家に帰ったらもう少し厚く塗って、そんでもって、マチエールを作れば、多少引き立つと思う。

売れないだろうなあ。笑。(しかし、よくよく思い出すと、小さいユリの絵は完売。6号はまだ売れないんだよね。)

これは、2005.12.31日作。

記念すべき2006年最初の一枚は王妃の肖像。オジャラは、油彩を本格的に初めたのが、2003年の1月1日だったので、今日から4年目に突入するということになる。

初日の出を見た後、お部屋に届けられた新聞を見る。

ベラスケスの絵を発見。

スペインで、ベラスケスの絵を見ながらキュビズムに展開した日のことを思い出し、王妃の絵を模写することにする。

スケッチなんで、まあこんなもんで。(似てねえ)

30分から40分程度だったと思う。

細部の仕上げは、帰宅してからにする。

オジャラよ。模写になっていないんだけど。

いーの。マリア王女を描きたかったの。

もう少し構成を練って、キュビズムに展開した絵も描こうと思う。並べて展示するぜ。

そそくさと写真を撮影して収納。

何といっても、これから、河口湖周辺大ツアーに行かなければならない。4枚もカンバスを持ってきたのに、オジャラは使い切ることができるんだろうか?

それにしても、上の絵と、大きな違いだよなあ。同一人物の絵とは思えない。やっぱ、写実に向いてないんだろうと思う。

初日の出を見ながら描いた、クレヨン画。

ホントウは、太陽はもう少し裾野の方で、実際には雲に隠れていたのだが、絵なのだから、強引に紙の中に入れるというのが正しい。

写真とは、そこが違うところだよねーっ。

そうして、やはり、山の絵を描くのであれば、南アルプスとか、桜島のように、煙が上がっているとか、凹凸が激しい場所だとか、もう少し動きのある絵が描きたいと思うのだった。

オジャラよ、この絵を一体どーしたいんだよっ。みたいな。笑。折角だから、町並みなんかも入れてみようと思う。

クレヨンだけは豪華24色セットで、絵を描いている人らしい人が、「イロがつくと、またイイもんですねえ」などとしきりにアタシの絵を見ていた。オジャラは、ここでも趣味の人に。

まあこんなもんで。

こうすると、この、木の陰にお日様が隠れているということが理解できる。

町並みというのも、描いていて、全くうまく描けないということが理解できる。

でもまあ、富士山の絵というのは、たくさんの画家が描いている。理由は、売れるからだと思う。

わかり易いからね。

そうして、風景で個性を出すというのは、至難だと思わされる。

そういう意味で、片岡球子はスゴイと思えてくる。富士の裾野に花を散りばめて、新しい着物を着せてあげるのだと、彼女は語る。

そうして、富士の絵を毎年一枚づつ描くことに決めたのだそうだ。

そういう、人生を通した絵に対するコンセプトというのもスゴイけど、彼女の富士の絵を飾りたいと思う宿とか、美術館とか、収集家も多いと思う。

そうして、どんな絵であっても、球子の富士であり、私は見間違うことがない。

オジャラは、彼女が富士をスケッチしている映像をテレビで見たことがあるけど、ホントウに信じられないような山の中で、富士を対極に見て、防寒具に身を包んで大きなスケッチブック見開き一杯に描いていた。

太マジックでだよ。

それから、クレヨンのようなもので、色を加筆していた。

到底富士には見えないその山も、本画になると、やっぱり富士山に見えてくるのがスゴイ。