◆◆◆ 597 ★ 現代アート元年 ◆◆◆
2005.12.30 |
2005年は、オジャラにとって、現代アート元年であったと思う。 今まであまり、意識したことはなかったが、世の中は、現代アート的発想に満ちている。 そのことに気づけるようになったというのが、ウレシイのである。 こんなこと、日記に書いてしまうと、あまり、意味がないかもしれないけど、現代アート作品は、別作家名で発表することに決める。 不忍画廊のアライさんに、「今までのとあまりにも作風が違うから、名前を変えて展開というのも面白いんじゃないですか?」 などと、ワケの解らないアドヴァイスを頂いて、つい、「面白い」という言葉にひっかかってしまったのが間違いだった。 オジャラという名前も、立派に、面白いぜ。笑。 |
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でもまあ、次はどんな名前で展開するのかを考えるのは楽しい。 スペイン語というのを共通項にし、同じ頭文字の中から、次なる名前候補をピックアップしてゆく。(同じ頭文字にするというのは、推理小説などのパクリで、偽名を使うときにイニシャルは本名と同じというのを暗号にしたりするという、例のやつ。) それから、どの名前が、最も、SEOでも効率があげられるかとか、日本語名にしたときに、違和感が無いかなどという、自分にできる限りの検討をする。笑。 自分の新しい名前を考えるというのは、ある種の創作活動だよなあ。 現代系作家というのは、芸術家の中でも、(一般の人には)嫌われ者が多いという気がするね。 「よく解らない」とか、「あんなの芸術じゃない」。「絶対に認められない」。という評価多し。 作家は作家で、「よく解らないといわれるものを作りたい」とか、「この作品には意味が無い」などと言い放つ。(どちらかがボケで、どちらかがツッコミだとすれば、筋は概ね合ってはいる。) 現代作家の名前なのだから、それにふさわしい名前でなくてはならない。笑。 そうだよ。そうでなくてはならないのである。 ということで、名前の選定には半日もかかってしまう。 決まったら決まったで、アタシは、その作品を、ネットでどう公開するのかを考えなければならなくなった。 もし、別名で展開するということにすると、私は、もう一人存在するということになるということなんだろうか? |
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嫌、そうではない。一人二役ということだ。笑。 一人二役なんだぁ。それは、ドラマだとすれば、いわゆる、双子の姉妹ってことなんだ。もしくは、娘に瓜二つの別人とか、鳩子とか、腹違いの妹とか、そういう世界。うんうん。 それとも、多重人格者などの症状に見られる、全く別人が突然出てくるという設定がいいのか? というように、別名で展開するという話だけ決まったため、他をどう扱うかが全く未知。 アタシのアタマの中は、過去に見た、一人二役のドラマや映画なんかが、グルグルと出てきては消えてゆく。 アナタならどーする? ここは、極秘で進めるというのが正しい。 そうだよ。極秘事項にするぜ。 ということで、皆さんには教えてあげません。キッパリ。 とはいっても、もう、作品のことを知っている人は結構多い。少なくとも、コロニ展で発表したし、銅版画のお教室の人には、口頭で説明しているし、個展に来た人には、見ていただいている。 はぁ。アタマの中が、グチャっとしてきたぜ。 そうして、こんなことを書いていると、オジャラは、イヨイヨおかしくなったと思う人もいるかもしれない。 そこが狙いだもんなあ。 それは、仕方が無いことだよなあ。 |
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芸術活動というのが、もし、「人とは違うことをする」という活動なのだとすれば、多少の考えのズレは仕方が無い。
それが、見る側と大幅にズレてきたとしても、作家の技量がアップしてきたということに他ならない。 伊達に俳句をやっているということでもない。意図したモノがあり、俳句に傾倒してきたのである。 そうして、「あの人は、芸術家だから、少しアタマがおかしい」などと言われると、やっと一人前ということになる。 はぁ。 ますます、思考がずれてきている自分に気づいて、働くのはムリだろうと思えてきた。汗。 来年も波乱なのぉ? |