◆◆◆ 591 ★ 面接を受ける ◆◆◆
2005.12.22 |
徒歩3分の児童館で週3日程度勤務可能な人を募集していたので面接にゆく。 そうしたら、芸術家だからダメなんだそうだ。 「個展はどうするんだ?」などと聞かれ、 「こちらの勤務が週三回ですし、個展も週三回ですから、物理的には可能だと考えていますけど、しかも、個展は年に何日かの話ですから」 などと答えたが、勤務に支障があるという迷惑顔。 時給790円にも落ちてしまうというのが情けないよなあ。 前のバイトの面接のときにも思ったけど、担当の人というのは、ローテーションの調整を物凄く面倒くさがるんだよね。 学童の子供たちに絵を描かせたり、パソコンを教えたりする仕事は、アタシには向いていると思う。 片岡球子だって、定年まで学校勤めだったのになあ。芸術家といわれても、まだ芸術作品作ってなのよね。 「有名になったらどうするんですか?」などと聞いてくる。 「画業というのは、そういう作品を作れるようになるまでは何年もかかりますし、それまでの間、一定した収益をあげられると、他の仕事を断って、自分の画業に専念できるのです。この仕事は、勤務時間もエリアも私の条件にあっているんですが。」 というと、10年勤められるのか?辞められると迷惑だから。 などと聞かれる。 790円で10年働けというのにも驚くよなあ。 |
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何でも、税金の控除額の範囲内の労働なのだそうだ。笑。 そんな制度があるから、女がいつまでも自立できないのだということに、誰も気づかない。 ホントウに能力があるのであれば、ガンガンと稼ぐべきだぜ。それが、日本経済のためである。何で、全く経済活動に貢献していない主婦に年金払っているんだろうと、信じられない気持ちでイッパイになる。(しかも破綻進行中) 「とりあえず、今、お金が必要なので、先のことは解りませんが、1年とか、決まった期間があるのであれば、その期間は全うできると思います」 などとお答えしたが、私の絵を見たことも無い人たちが、アタシが有名になってしまうという想定で、非採用になってしまう。 万一、アタシが有名になったとする。一時的に、アタシに絵を教えてもらった子供たちは、そのことを一生忘れないと思う。 常識的に考える。 アタシは有名にならずにいる。 そうしたら、仕事は長期に継続される。 どちらも先方にとっても悪い話ではないと思うけどね。 |
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一つだけ理解できたことは、個展を開く限り、どこかに雇われたりはできないという事実である。 銅版画のお教室もあるしね。汗。週3勤務なんだから、全然オーケーって気がするんだけどなあ。雇う方は先方の希望通りに働いてくれる人希望。数人のスタッフをローテーションさせるのだから、融通を利かせるというのは、アタシにとっては普通の感覚だが、もう、そういうのも面倒なんだろう。 求められている人材は、先方の都合通り働いてくれる人で、もう一人が、そういう条件で勤務できれば、そっちに決まるというだけの話である。 子供の能力の発展とか、パソコンや英語などを取り入れた遊びよりも、希望シフトに入ってくれるということの方が優先される学童保育についても、まったくついてないと思わされる。 若いママ達は、アタシに習わせたいと全員が言うけどね。(個人の教室はお断りしています)まあいいか。 仕方がないので、他のバイトを探すことにする。やっぱ、SOHO系の仕事を探すのが一番イイんだけどね。 仕事を探していると、自分に出来ることが物凄く限られていると思い知らされる。 温泉旅館のレポートとか面白そうなんだけどなあ。交通費とか出るのかなあ。みたいな。 車乗れないからムリだろう。笑。 |
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とりあえず、アタシの作品を見たという人からメールがきて、WEBコラム連載のカットという仕事が来る。
とりあえずそれを作る。 叶姉妹を描くことになるとは思わなかったぜ。 美に関するコラムなので、美女やコスメなんかを描くことになるのだと思う。 適正的には、アタシの絵に合ってるかもなあ。 今年は、雑誌の連載が終わってしまい、もう少し定期収入をテコ入れしたいと思っていたので、落とさないようにガンバリます。 それから、不毛の仕事探しというのを再スタート。もう、どこかに働きに出るという案はやめることにする。 理由は、起業して、自力で成り上がった人を、雇う側が使いきれないからである。(赤字なんだげどさ。) |