◆◆◆ 588 ★ 2月号を作成 ◆◆◆

2005.12.18

年末年始のお休みがあるので、雑誌表紙を早めに作る。

「進化する口コミ」で絵を描けと、頼むほうも頼むほうだが、アタシも、よく、こんなテーマを引き受けて3年も表紙の絵が続けてこれたなあと思う。笑。

それはそれで、ある種の才能だよなあ。

頼んだ人がエライ。笑。

今回は、水彩紙にカラーインクで何点かを作る。

仕事はこれしかないので、概ね20日程度、他の絵を描いたり、パソコンしたりしながら構想を練る。

でも、描き始まると、どんどんと次のアイディアが沸いてきて、結構描けるというのが不思議である。

最初に描いた絵よりも、後半の方が断然よくなる傾向はいつもの通りで、結局2案を提出することにする。

一枚は、採用になったら、もう一回同じ絵を描き直すと思うけどね。

目が失敗だったような気もするんだけど、大きい紙なので、細い線だと、遠くから見たときに、パっとしないんだよね。もう少し、不思議な絵にするというのが課題かも。

絵は、毎日描いているのである。

同じ絵を何度も描くと、後半は、色使いが断然と良くなって行く。

お金を頂きながら、力がつけられるのだと考えれば、納得のゆくまで描き直すというのは普通の感覚だろう。

今までは、手で描いた線に、CGで色をつけていたということもあるけど、今回は、色もつけた原画をデジタル加工するということに変更になった。

それは、何を意味するのかといえば、原画を残せるということに他ならない。

原画が残ってゆくと、それは、将来的に広い場所での展示が可能ということになる。

ようするに、小規模の美術館とか、デパートの美術館なんかも対象にできるということである。

美術館で展覧会が出来ると、知名度が上げられる。

収蔵品を持たない、小さい美術館は、逆に、ある程度の面積で展覧会が出来る作家を探しているということになる。

アナタは知らないだろうけど、アタシは知っている。美術館で展覧会をするときには、作家は、無料で作品を貸し出すらしいよ。

作家には、ここでも金は入らない。

図録を作った場合には、その10%が書籍の印税として入るらしいけどね。

あとは、複製画とか、複製版画などを業者とタイアップして売るという話。版権の販売料と、ここでも印税の10%が入る構造。

本屋と同じなの?

アート業界の裏事情というのは、知れば知るほど作家に厳しいものだと思わされる。

リーウーファンの番組を見ていると、オットが起きて来る。

オット「この人何してるの?」

私「白いカンバスに、グレーの四角を描いているのよね」

オット「イナバの物置にしか見えないね」

「イナバの物置」とはよく言ったよなあ。

確かに、そういう風に見えてくる。

オットときたら、レンブラントとフェルメールしか認めないという美的センス。

写実的かつ、精巧で格調高い、色の美しい絵画を絶賛。

でもまあ、興味は皆無。

そういう人生である。

絵に興味のない人の価値観というのは、本当に重要であり、勉強になる。

アートの世界を全く楽しむことが出来なかったというのは、人生の損失なのではないかと思ったりもするが、アタシは別に構わない。

それは、彼の人生だからである。

彼には、彼で、興味を抱く対象があり、それを熱心に勉強するまでのこと。

人生は人それぞれなのだ。

582号で書いた、作家の考える芸術性に司られる創作活動ということについて、アタシは重要なことに気づく。

それは、100年前と、今の作家さんでは、その、芸術性の幅が違ってきているということである。

昔はさ、美を壊す程度でも、十分にセンセーショナルだった。が、今は、その範囲に留まらないという意味である。

例えば、リーセンセイは、

「なんだか解らないものを作りたい」と話している。

岡本太郎は

「何がなんだか解らないけれども、スゲー」という作品作りを目指している。

オタクの展覧会の主催者の方も、

「『見た人に、何だろう、この展覧会は、どんな意味があるのだろう』と思って記憶に残して帰ってもらう」

ということを意図しているのである。

彼らは、全員が、映像を通して、「なんだか解らないもの」を作っていると話しているということである。

創作のゴールが、「何がなんだか解らないもの」なのだ。

見た人が、「なんだか解らない」作品を展示できたときは、作家の勝ちということである。

目的が、そこにあるのよね。作家は、目的を達しているワケよ。

そこに芸術性が潜んでいるってことなんだ。納得。

え?よく解らない?

君には、一生解る事は無いかもねーっ。

皆に解られると、こちらもつまらないじゃない。うふふ。