◆◆◆ 566 ★ ユキちゃん、北斎 ◆◆◆

2005.11.29

リノ版の刷りの乾燥というのもあり、今日は、展覧会巡り。

YUKIちゃんの展覧会が最終日なので、渋谷へ。

彼女のクレイというのは、写真では何度も拝見していたが、実物を見るのは初めて。

「雑誌の表紙に使われるかもしれないんですぅ」などと、彼女は、展覧会の成果を報告してくれる。

小さな天使や子供や、そういうモチーフが、本当に可愛くて、一生懸命がんばっているなというのが伝わってくる。

展覧会を見に行って思うのは、作家さんの頑張りが伝わってくるかどうかなのだと思う。

そのあと、銀座線で上野まで流れて、北斎展へ。

30分待ち。よい天気だったから、ヨカッタけどさぁ。雨とかだと、悲惨だよねーっ。

300点の彼の作品は、どれも動きがあった。

色もよくできた作品も多かった。

イロイロな作品を作ったモノである。

その、構成能力や、絵の動き、絵の面白さというのの中に、才能というのを見ることができる。

誰にでも作れる域ではないということである。

3000円の図録を買って、都美術の公募展に流れる。

私が目指したのは、三棟で、大洋さんと、風司さんから、ご案内状を頂いていた。

まず、地下階の日象展へ。

おおっ。風司さん、佳作賞オメデトウございます。

お友達は、賞取る人ばかりだよなあ。

はぁ。一体、どーいう友達なんだよっ。

賞も充実していたし、内容もヨカッタっす。

結構、レベルの高い公募展でした。

その後、1階の大洋展へ。

太洋さん、奨励賞おめでとうございました。

大洋さんの絵がイチバンヨカッタっすよ。

太洋さんの作品はネットでは何十枚も拝見したが、実物を見るのは初めて。

色もキレイだし、遠くから見ても近くからみても素晴らしかったっす。

公募展というのは、奥深い。そのあと、無料の券を頂いたので、新院展へ。

イマイチ、良さが解らなかったけど、まあ、イロイロな人にチャンスがあるというのも大事だと思う。

公募展の意義というのは、これから絵を続けたいという人の唯一の力の発揮場所ということであり、展覧会に向けて、絵を描いているという人は多い。

地方だと、絵画協会の会員ということで、生徒さんを集めることも可能である。

絵を売るのは大変だが、絵を習いたい人に絵を教えて収益をあげられるのであれば、また、絵が描ける。

絵だけで生活している人など、絵の研究を始めてから、ほとんど見たことがない。ケンタさんと、ヤギ姉さま位かなあ。

後の人は、全員、他の収益源を持っているということである。

それくらい、厳しい世界だということだ。

この前来た、筋の人も、そういう実態はご存知で、「経済的に食べる必要もなければ、これでいいじゃないですか?」的な話をして帰っていった。

収集筋の人も、この道が長ければ、その辺はよく理解できているということである。

あれだよなあ、最低でも、前働いていたときの年収ぐらいは超えられる予定で、この道に入っているんだからさー、皆がみんな、まとまって、趣味扱いしなくてもいーと思うんだよねーっ。

まあいいか。それほどの絵を描いたワケでもない。

そういえば、青山で流した画廊に、オノヨーコの作品が数点置いてあった。

弁当箱に、何やら詩のようなモノが書いてある作品とか、ポストカードの真ん中に穴が開いていて、ここを覗くと向こう側に青空が見える。

などと書いてある。

最小限の創作に、気の利いたメッセージかぁ。

そういう作品もイイなあ。

そういえば、北斎も、借金取りに追われていて、引越しを繰り返した話は有名だよねー。

弟子もイッパイいたみたいだしね。

あれだけ描けても、絵で生活できていたということでもないのだろう。(収入以上に使いすぎる別な癖というのもあったのかもしれないが)

絵を売って生きるという目標が、いかに無謀かということに他ならない。

方向修正するべきなのか?

それとも、多くの人が成しえない目標を目指し続けるのか?

公募展の絵の多くは、大きい絵を描くことに必死になっていて、筆運びの鍛錬が足りないという絵が多かった。

もっと、自分の意図した場所に、正確に、意図した線がひけるようにならないと、完成度がアップしない。そういう絵なのである。

遠目、ヨイムードだけど、近くに行くと、パっとしない。まあ、そういう作品が多いということである。

オジャラよ。人の絵のことなど、どーでもいーだろうぜ。たはは。

自分の大作の一枚でも仕上げたらどーなのよ?みたいなね。