◆◆◆ 553 ★ 美術番組を見る ◆◆◆

2005.11.16

今日見たのは、天台宗を開いた最澄と仏像の展覧会の番組。

番組によると、最澄は、13年間人と関わらずに、修行に励み、法典を読み解いたのだという。

そしてそれを、「全ての人は成仏し、全ての人は菩薩である」べきだという教えに昇華させる。

なるほどぉ。

坊さんっつーのは、プレゼンテーション能力なんだねえ。翻訳能力というかさ。

物凄く潔い、簡潔な文である。

まあ、そういう能力があると、自分の宗派を開けるということみたい。

何でも、天台宗は、ユニバーシティみたいなもので、真言宗と比較すると、物凄く多彩なんだそう。

薮内さんという彫刻家がゲストに来ていたんだけど、彼の説明によると、

天台は、ポップミュージック(→これは、表現違いで、音楽全般だと思う)で、レゲエも、ソウルも、ジャズも、ヒップホップ、ヘビメタもある。

真言は、オーケストラのようなものである。

なるほどねえ。

お経がヒップホップに聞こえてきたぜ。

天台宗からは、浄土宗、その後、日蓮宗やその他の宗派も次々と出てきたらしい。

あれだよなあ。当時のお寺という場所は、自由に仏教を語ることも出来たけど、自分の宗派を作るという活動も含まれてたってことなんだろうか?

まあいいか。その時代には、極楽浄土に行くことしか、人生の楽しみがなかったんだとテレビでは説明していた。

あの教えは、ある意味画期的で、人生を、精進して生きて、悪いことはしないという、日本人の精神の根幹を司ってきたと思う。

生きる指針としての宗教であったということだ。

アナタは、イスラム教徒や、ヒンズー教徒と長々とお話したり、金銭的被害にあったりしたことも無いと思うが、外国に住むと、宗教観が養われる。

宗教観は、ライフスタイルのほとんどを構築してしまい、その思想というのを変えたりもしない。

価値観は、宗教から派生している場合が多く、宗教の違いは、行動パターンを根本的に変えてしまうため、結果的には折り合わない。

そんで、戦争になったりしちゃうワケよ。

それぞれは、慎ましく、マジメに生きていこうという教えなんだけどね。他宗教と折り合う項目が欠如してるんだろう。

アタシが外国でどんな被害にあったのかという話は置いておいても、よい番組であった。

仏像を見ていると、昨日のイサムノグチの彫刻に引き続き、アタシは、立体に入ってゆくのだという確信を持つ。

頑張って陶芸釜を買いたいぜ。

粘土細工は売れないことは理解できた。

小さい陶芸釜があれば、小さい陶像を沢山作って現金化できる。

心安らぐ、小さい作品をいくつも作りたい。

薮内さんは、こうも言った。

「アーティストの人は、「自分の為に(芸術)作品を作る」と言っているけど、僕は、そんなことを一度も思ったことはない。いつでも見る人の為に作っています」

そうだよねーっ。

それは、アタシも同じである。

絵を飾りたいという人が、手に届く作品でなければならない。

値段的な話もそうだけど、「飾っていて、元気が出るとか、心が安らぐとか、気持ちが楽になるとか、笑える」

というような作品を作りたいのである。

作品が本当に優れていれば、値段の話は解決してくる。高くても(買える値段であれば)買いたいという人が出てくるからである。

その他、ヨシクニとか、クリムトなんかの番組を見る。

クリムトのゴールドの絵は、相変わらず美しく、テキスタイルの文様も素晴らしい。

ゴールドを使わなくなった時代の絵になっても、色の明暗がクッキリと別れ、色彩の天才だと思わされる。

あれぐらい描ければ、画家と名乗ってもイイよなあ。笑。

彼の絵であっても、はじめは、(キモチ悪い絵だったので)受け入れられることがなく、画業は難航していた。みたいなストーリーを見る。

どんな画家の人生にもドラマがあるのか、それとも、ドラマチックな人生の画家だけが有名になったのか?

まあ、人生のせいで有名になるということはあり得ない。有名になったのだとすれば、絵が優れていたからという理由一点である。

夜は、ダイレクトマーケティングの勉強会に参加。素晴らしい講義にシビレたぜ。

講師のTさんは、アタシが画家になりたい話を聞いて、「ポテンシャルは受けた。ハウトゥに対して、ホワットフォーが足りない」とアドヴァイスをしてくださった。

ホワット フォーと、ハウトゥのマトリックスは、ハウトゥの幅が幾ら広くても、ホワットフォーの高さが足りないと、面積が小さいままである。

ホワットフォーをもっと明確にすると、(面積が広がり)全体像が見えてくる。

ということのようだ。

とりあえずの目標は1万枚(ハウトゥ)

その後は、有名画廊からデビュー(ハウトゥ)

この場合のホワットフォーは、オジャラは、何のために絵を描くのか。という話らしい。

今あるホワットフォーは、見た人の気持ちが安らげるような作品を作りたい。

気軽に近くに置いて、アートのある空間というのを楽しんでもらいたい。そのために、絵を描く。

画家の職業の目的としては、まあそういうことになる。別に、自分の為に描こうと思っているワケではない。(模写を除く)

この程度のホワットフォーだけだと実現の将来像が見えてこないということなのだそうだ。

ホワットフォーには、私設の美術館も入れておこう。無駄遣いしないで、コツコツと稼ごう。

帰り道、ぼんやりと、今朝テレビで見た仏様のお顔を思い出していた。

あれだよなあ、癒しのお札絵みたいなポジションなんだろうか?

もし、絵が商品なのであれば、それは、お客様の為に描かれなければならない。