◆◆◆ 547 ★ 抽象画の新作 ◆◆◆

2005.11.9

英語補助教材の合間にも、次々と描きかけの絵に手を加えてゆく。

そうして、飽きてくると、こんどは抽象画を作ってみる。

パレットの残りの絵の具というのは、思いもよらない結果を導き出す。

そうして、ゴアサさんの絵のマチエールのことがいつまでも気になっている。

この前テレビで見たマツダさんの絵のマチエールに似ているよなあ。

カミソリのような品で、塗ったばかりの絵の具をなぞっていたけどなあ。

どんなマチエールを手に入れて、それを駆使して、自分の絵を組み立てるのか。

画家の職業というのは、新しい技法との戦いである。

一旦手に入れた画風というのを、壊しては、新しいマチエールを模索する。

そうして、また、元に戻ってみる。

行ったり来たりを一人で繰り返し続けるのである。知らなかったぜ。

どーしてかなあ。

同じ方法で描画していると、飽きてくるからだろう。うん。(→ アタシの場合)

抽象画というのは全く売れる気がしないのだが、描いている最中は楽しい。

リーウーファンになった気分で、どんどんと作り進む。

彼の10年以前の作品というのは、本当に力強く、心が動かされた。

単調な色彩やフォルムの繰り返しであっても、あんなに、良いと思えるのだから、やはり、画力があるのだと思わされた。

見に行ってヨカッタぜ。

そうして、同じ作品など、ひとつも作れないということが理解できて、アタシは、やっぱ、職人ではなく、画家なのだと思えてくる。

作品は、色の重ね方で、全く違う絵になってしまう。

ドローイングの重ね技法に気を良くしたアタシは、油彩でも、同じような作品に取り掛かり始めている。

カラーインクや水彩、ガラスペンでのドーローイングというのは、あくまでも、油彩を完成させるための習作に過ぎない。

たった3ヶ月で退色してしまう作品よりも、長く楽しめる油彩を作る方が、よっぽど価値があると思えてくる。

そうして、何の意味も持たない作品がどんどんと増えてくるにつれ、絵が良くなってきているというのにも驚かされる。

アナタには解らないかもしれないが、アタシには解る。

誰の絵であっても、良い絵は良いし、悪い絵は悪いのである。

英語補助教材の挿絵も、あと2枚になる。

クライマックスは、緑に包まれた山や鳥の絵でありどんな絵にしようかと、頭の中で練り上げる。

色をキラキラとさせて、美しい絵にしたい。

と、気持ち的には思っていても、技術がまだそこまで行っていない。

構成能力をアップさせる習作作りや、小さい絵を描く練習をしなければ。

出来上がった絵は、本当はもっとこうしたいという問題が山積。自分の力の無さに打ちのめされるのである。

絵を見る人を侮ってはいけない。

絵を見る人が求めているレベルの方が、画家が思っているよりも、常にレベルが高いのである。

そうして、見るだけであっても、いつになっても、満足などしたりはしないのである。

もし、満足するときがあるのであれば、それは、その作家の死後ということになる。

ある中で選ぶしか、選択枝がないもんなあ。