◆◆◆ 534 ★ 新作続々完成! ◆◆◆

2005.10.23

アタシの絵は乾燥に時間がかかるので、なるべく早めに、油彩の方を進めたい。

そんなこんなで、英語補助教材のカットを作成しながら、平行して、作品のブラッシュアップを進めてゆく。

こちらは、花帽子の猫。

何度も描き直してもちっとも良くならなかったバラであるが、猫を書き加えたら、ある程度は見れる絵になってきた。

くじゃく模様も入れるかなあ。

あれは、よく解らないけど、人気なんだよね。謎爆。

最近、絵の仕立て直しという技術が結構ついてきたと思う。

それでも、ドローイングのように、思うように描けているということでもない。

やっと、絵手紙程度まで来てくれたという感じ。

もう少し大きい絵で、全体を入れて、構成力や完成度を身につける訓練をしないとイカンということのようである。

頑張るぜ。

孔雀の模様というのは、この絵の右下の、丸い模様。

なんとなく、絵が華やかになるし、更なる個性も入り込んでくるので、アリかなあ。

無いやつもあるけどね。

結果がよければ、どんな絵でも売れてゆくので、細かいことは気にしなくても良い。

あれだよなあ。

マーケティング的視点から考えれば、「成功体験」というのは大切だと思う。

アタシが、今、この絵でプロデビューできたとしても、入ってくるお金が、大して変わらないのだとしたら、安く販売できる方向で進めてゆくのが経営努力というものである。

まあ、この、何十倍もの値段になる可能性があるから、画廊からデビューするワケでね。

自分で出来る域と、もっと儲けられる域というのは、商売のやり方が違うということのようだ。(研究中)

価値のある絵だけが、高値で売買されるというだけは間違いがない。

どちらにしたって、画家そのものが、販売可能なレベルの作品というのを体感できているというのは大切なのよ。

どんな絵だって、売れるということではない。

「それにしたって、誰が買うんだろうなあ。」

と、アナタはそう思うかもしれないが、この絵はイイ絵だから、きっと売れると思う。

アタシの所に、ありきたりの絵を求めている人は来ないからね。爆。

来る人の目が肥えているというのは、こちらも、本気で戦わなければならないということであり、一生懸命に作品と向き合ってゆくということである。

これからも、薔薇の絵も描くと思うけどね。

あれはあれで難しいのよ。

何度描いても、白い薔薇というのは描けるようにならないし、もっと、良い絵が作れるんじゃないかと思っている。

三岸節子の図録は、毎日眺めているけど、いつになっても手に入れられる気がしない。

ようするに、まだ、自分の薔薇が描けていないということであり、足りないところを理解して、作品をまた一枚作ることが、画業なのである。

そういえば、この前のアートディスカッションのときに、大学講師という、アート関係者の方とお話したんだけどさ、彼女曰く、

「アーティスト(彼女がそう呼ぶ場合は、芸術家)が、収益を得なくても、作品作りができるようになる時代が来るといいと思う」

と話していた。

それはあり得ないよね。アタシは、その場では反論しなかったけど、それは間違っている。

画家というのは、絵を描き、それを売って生計を立てる商売なのである。

絵が売れないのは、絵が悪いからである。

日本の場合、社会構造にも問題があり、中間コストが上がりすぎているため、絵の値段が、購買可能価格から離れてしまった結果、誰も絵を買わなくなったということもあると思う。

だけど、誰かの援助を受け続け、作品を作り続けるのは、芸術活動ではない。

もし、芸術家が職業なのであれば、芸術を売らなければならない。そうだろう。

もし、本当に優れた芸術作品なのであれば、理解者は必ず金を出すからである。実際、ムラカミタカシなんかは、そういう筋で、芸術として売買されているってことなんだと思う。(あんなに、中古市場に出回っているというのも笑えるけどさ)

もし、金を出してもらえないのであれば、それは、芸術になっていないからということだろう。

そうして、その途中に存在する、画家の卵達はどうしなければならないのか。まあ、その部分の課題はあると思うけどね。

でも、描いてる量が足らないと思う人は多いぜ。

万難を乗り越え、高い所を目指して精進を重ね、自分の世界を手に入れた人だけが、芸術家と呼ばれるのである。

アタシのような下手糞でも、4000枚描くと、歴然とした差が出てきて、メキメキと上達してゆくのであれば、志を持つ人は、もっと、描くべきだと思う。