◆◆◆ 508 ★ モーリスユトリロの番組を見る ◆◆◆

2005.9.19

ママの愛を求めた、孤独の人生かぁ。

マザコンだったんだねぇ。斬りっ!

芸術活動と新しい恋に忙しかったママだったので、幼少、ユトリロはいつも一人だったのだそうだ。

そんな話、彼の絵には全く関係ないような気がするけどなあ。

まあいいか。

ルイス・キャロルがロリコンだった話と同じように、ユトリロがマザコンだったという話はみんな大好き。

アート愛好家は、暇なんだろうか?

芸術家には最初の岐路がある。

自分の絵を壊すのか、壊さずに進むのか。

ユトリロや、ゴッホ、ルノアールという画家は、前衛的な絵画の動きには乗らず、独自の道を進んだ。

それは、当時としては、珍しかったらしい。ほとんどは、ピカソとか、カンディンスキーとか、クレー、ミロのように、自分の表現も保ちつつ、作品を壊しては再構築するという作業が流行っていたということらしい。

まあ、その筋の評論家によれば、そういうことのようだ。

ユトリロは、晩年は、若い頃の傑作を模写することが多くなった。(地方に移り住んだ後も、モンマルトルの風景を注文する人が殺到したためだそう。)

などという解説があった。

ピカソも、晩年は、キュビズムの作品を繰り返し描いたという話を聞いたことがある。

昔のように、自分の作品を壊して、新しい作品を作るという作業からは離れて、同じ作業を繰り返すようになってゆくという話である。

共通点は、晩年になっても作品を作り続けていたということ。

そして、新しい試行錯誤をしなくなったということである。

人間、そんなもんだろう。

ヨボヨボになっても、絵を描き続けているだけでも立派だと思わないとねえ。

アンタ、イロイロと期待しすぎだぜ。

芸術家に期待されていることは、新しいコトにチャレンジし続け、見る人をアっと言わせて欲しい。ということみたい。

それにしても、画家の人生を研究して食っている人たちがいるというのが不思議だよね。

画家が食えないのにね。汗。

(美術館は、学芸員ばかりに給料を支払ってないで、画家にも払って欲しいと思うんだよね。大汗)

画家の人生が波乱万丈な程、認知度が高まるというのは、まあ、理解できてきた。

家がリッチで、絵を売る必要が無かったドガの人生なんか、誰にも取り上げられないもんなあ。

(晩年、家が破綻し、彼は、作品を手放さなくてはならなくなったという話は残っている)

そんなもんで、彼の性格はもの凄く悪かったという評判。汗。

金持ちは悪者かい?

とりあえず、世に出る素質というのは、作家本人もなんらかの記憶に残る人生でなければならないということのようである。

でもまあ、結局は作品次第。

作品が良ければ、世に出ないということはない。もし出ないのであれば、作品が悪いのである。

最近の油彩は、大衆向けから離れてきてはいるが、それはそれで仕方がないということなのよ。

自分の作品を、もっと全面に押し出してゆく。

今後は、そういう作品作りになると思う。

それが画業なのよ。

北斎と広重の番組をもう一度見る。

今回見たことで、才能の差は歴然となる。

北斎圧勝。

広重は、北斎に追いつくまでに20年もかかっている。

が、追いつけただけ立派だった。

追い越したのかどうかはアタシには解らなかった。色彩面では、広重の方が少し上だったかもしれないよなぁ。

テレビ番組でも、オッサンが解説してくれていたけど、「大衆に支持されるかどうかと、芸術性が一致しているとは限らない。北斎もそのことに気がついていたと思う(けど、大衆に受ける作品を作るのではなく自分の道を進んだ)」と話していた。

芸術家としてはどーよ。

芸術性の高い作品を作った方が上だろう。

職業として考えたときには、沢山稼いだ方が勝ち。

どっちを選ぶのかは、画家本人次第ということなのか?

そうじゃないよね。

芸術性の高い作品を作り続けるというのが、凡人にはムリということのようだ。

作れる人は、必ず、自分の道だけを進む。

そうして、(里中センセイ曰く)「自分の道を進んだのに、描き続けることができたんだから(どんなに貧乏で、生前絵が認められなくても)画家として幸せだった。」

とまあ、こういうオチになる。

大衆に向けて作品を作り、売れまくるというのは、ある種の才能ではある。

ということで、片岡球子はスゲーという話になる。作品の中には、ある種の芸術性も存在しているからである。