◆◆◆ 500 ★ 祝!500回 ◆◆◆

2005.9.13

おかげさまで、しゃぼんだまあおいそらも500回。

全部読んだという人は、水彩画の一枚でも買ってあげてくれ。

アタシは、今、もの凄く絵を販売しなければならない状態にある。

エッセイの仕事が舞い込み(汗)御成門まで打ち合わせに行く。

そうして、挿絵も、原稿料の範囲で構わないので、何か入れさせてくださいなどとお願いをする。

まだ、文の方が金になっているということなんだろうか?

よくよく考えると、山本容子も、池田満寿夫も、三岸節子であっても、文も書いていた。

それは、作家としての文ではなく、画家としての文章であったが、文才があったということに他ならない。

絵が描けるだけでなく、文も書けると、有名になれるということのようだ。

頑張るわ。

帰りに銀座の展覧会を見ようと、新橋を通る。

通り過ぎるワケにも行かないので、キッチンミナトさんでコーヒーを頂く。

絵をいくつか差し替えたので、お客様は、さすがに気づいたらしい。

アタシが置かせていただいているHPを書いた名刺などはすっかり品切れ状態となっていたので、また作らなければならない。

有難いことである。

そうして、絵の値段の話になり、アタシの絵はやっぱり相場から離れて、安すぎるんじゃないかという話になる。

「嫌まあね、ここだけの話だけどさ、表面には出ていないだけで、画家さんの描いた絵だって、イロイロな価格帯で売買されているものなのよ。」

というような話をする。

商売をやっている人は、この筋の話には、すぐにピンと来るものである。

「アタシの場合、短時間で沢山描けるんだしさ、向こうだってニコニコ価格でお買い上下さるんだから、商売人としては幸せだと思うよ」

そういうと、マスターは頷いた。

2万円の利益をあげるのに、何皿のランチを販売しなければならないかという話なのよ。

その後、銀座通りにあるいくつかのギャラリーを回る。

とある画廊の油彩の展覧会で、画家と、ライターの会話というのを聞くはめになった。

画家さん「絵なんて、一年間に100枚くらい描けるんです。でも、売れるのは1−2点でね、もう、(絵を保管する)スペースがなくて、どんどんと広い場所に引っ越しているので、金ばかりかかっちゃって。」

作家さん「文も売れませんよ。何かを書こうと思うと、その資料の金額が膨大でね、まったく儲かりません」

画家さん「チャリティーで、リキテックスの作品5万円とかで出すと、直ぐに売り切れちゃうんだけどね、油彩は(お高いので)そうはいかずに、ほとんどが売れ残るんですよ」

(普通の絵だからだよなあ。しかも、350万円じゃ、誰も買わないだろうぜ。

5万円でガンガン売れるんだし、毎年100枚ずつ増えてゆくのだから、一枚5万で売ればいいのになあ。)→アタシの内心の感想。

こんな作品は、ブックカバーになるとカワイイぜ。

その方の絵は、画家の絵ではあった。

もの凄いスピードで描かれたその絵は、もう少し手を入れて、完成度をアップさせれば、もっと良くなるのにと残念で仕方がなかった。

日本の画家が、職業ではないのは、絵が高すぎるからだと思う。

外国で絵を買おうと思うと本当に驚かされる。

どんなに大きい絵だって、何百万ということは有り得ない。2−3万という絵だって、シッカリとした個性溢れる力作ということも多い。

そのあと流れた、巡回コースにあるギャラリーでも、油絵は最低が15万、6号で25万とか40万円みたいな世界。

初めて個展する人の値段がこれだからねえ。(花と静物でした。汗)

でもまあ、ギャラリーのレンタル代、10日で20万以上は払っているはずだからさ。額だって1個3万円位の額だしね。

時間をかけて一生懸命描いた作品だからね、そのくらい頂きたい。という気持ちは理解できる。前の画家さんみたいに、短時間で描いている絵ではなかったからねぇ。

だから、そういうのを上乗せしてゆくと、そういう価格になってきちゃうワケよ。

かたや、企画で絵を置いている画廊は、(アーティストもレンタル料を支払わないので)お値段はぐっとお安く置いている。安くても15万円だけどね。

であるからして売れたりはしていない。

そんな値段の絵ばかり見せられたのでは、招待状をもらった人であっても、二度と行きたくなくなるよなあ。