◆◆◆ 495 ★ 台東書道博物館・子規庵・遣唐使展 ◆◆◆

2005.9.9

知人から頂いた、台東書道博物館のチケット。

最近、書の展覧会も見に行くことにしたので、タダなら当然に足を運ぶ。

鶯谷北口下車。

ホテル街を通らなければならなくて、だんだんと細る道が不安。

博物館自体は、ローカル系で、物凄く立派。

収蔵品は、地元の人の寄贈が中心になってしまうため、ヒドイ痛みというのが通例である。

たいしたことのない書も一生懸命褒めてあって、学芸員の方の努力が偲ばれた。(中にはイイのもありましたけど。汗。)

アタシには、まだ、書の良し悪しが解らないんだけどね。

でもまあ、見て歩くと、それなりの鑑識眼というのがついてくるものだと驚かされる。

全く読めないんだけどね。

それにしても、芹沢ケイスケ記念館以来のすき具合だったよなあ。

立派な建物がガラガラだと、本当に心配になるぜ。

博物館の斜め前に、子規庵なる建物。

自由律俳句一筋とはいえ、偉大なる俳人の庵なのだから、500円を支払って入ることにする。

そうして、彼の肉筆の原稿とか、水彩画なんかを見たりもする。

文学者系の展覧会は、展示物が原稿ということが多く、いつも地味でついていないと思わないわけにはゆかない。

それでも、書道博よりも、ずっと人が入ってきて、「俳句愛好でございます」といった、白髪の御仁が、いつまでも彼の原稿を眺めているのであった。

弥生美術館のように、相互割引制を導入して、来館者数を増やすべきだと思うけどね。

奥のほうには、彼が愛したガーデンがあり、例の窓越しには、ヘチマがぶら下がっている。

偶然立ち寄ったにしては、出来すぎの風景。

庵の外には、俳句の投句コーナー、水彩画などを描くコーナー、ダンゴ屋、ショップがあり、俳句ファンなら、一度は立ち寄らなければならない場所になっている。

立ち枯れの糸瓜の窓の青空  オジャラ

糸瓜と、青空の季語がダブっちゃったよなあ。

ぶらさがる糸瓜の隙間、青がこぼれてくる  オジャラ

こんなもんで。糸瓜って、ぶら下がっているから、ぶらさがるはいらないかもなあ。

ぶらり糸瓜の隙間、青がこぼれてくる  オジャラ

こんな感じかなあ。

それから、寛永寺陸橋を渡り、上野の森方面に歩く。

日展のナントカビルというのがあり、そこで、日展の展示品を見る(入場無料だったので、作品の販売もしているのかもしれない)

そこを真っ直ぐに行って右折。

子供図書館というのがあり、その隣が、黒田精輝の美術館。

アタシが通った時には、丁度4時ごろで、まだ開館していたのだが、遣唐使が明日までなので、とりあえずこっちに急いだため、黒田は先送りとなった。

国立博物館の営業は、土・日が18時までというのをしらなかったからなあ。知っていれば、黒田を先に見たんだけど。

そのあと、遣唐使展と、模倣・模写展なる展覧会を見る。

遣唐使は、結構な客の入りで、日本人は歴史好きなのだと思わないわけにはゆかなかった。

たいした展示は無かったと思うけどね。

模倣・模写の方は、全部ニセなので、安く揃えやがってみたいな気持ちでイッパイになる。

そうして、本物に迫る迫力の仏像や、曼荼羅、日本画などを眺めると、シロウトが掴まされるのも仕方ないと思えてくる。

ニセだけど、価値アリみたいな世界。

歴史的に考えれば、日本の美術教育というのは、模写からスタートしているのだ。

学校・収益源、生活の手段と考えれば、センセイは、生徒に、自分より上手く描かれては困るのである。

どんなに才能ある生徒であっても、「忠実に模写」する技術だけを教えぬく。

印象派時代などに見られる、「独自の世界の構築」や、「新しい絵画技法」などについては、語られなかったということなのだ。

若冲なんかの、新しいスタイルの絵は、なかなか受け入れられず、以前、美しく、完璧に模写された作品だけが売買されるというマーケットに、芸術家も適応したということである。

そういえば、書道博物館に、一点、若冲が展示されていて、あれはヨカッタ。

この先もホンモノを見るチャンスというのは余り無いだろう。

「うわっ、このツル、すごい構図だぜ」と近寄ったら、若冲だった。

毅然とした美しいフォルムや、迷いの無い線、独特の構図に圧倒される。

優れた絵というのには、サインなど必要ないということである。