◆◆◆ 486 ★ 猫本の続編 ◆◆◆

2005.9.2

猫のweb本は、おかげさまで5冊になる。(1冊10ページもないくせにっ。)

100枚くらい原画がたまったら、また、電子本にして出版するかもしれないし、面倒なので、しないかもしれない。

WEB本と電子本の両方は必要ない。

WEB版には、気軽に見れるというよさがあるということでもある。

猫の絵は誰も買いたいという申し出もないので、やはり、どこかの画廊で展覧会をしてみようかなという気持ちになっている。

あとりえ個展では、どちらにしたって、場所が狭すぎて、大きい額に入った絵の展示はムリっぽい。

プチテラスでやるかなあ。

何かピンとこないんだよね。

というよりかは、やっぱ、猫系画廊とかでやるべきなんだと思う。画廊かぁ。雑貨ショップなんかのほうが買う人が来るんだよね。

もしくは、ペットショップとかね。

猫のWEBショップなどに頼むという筋もあるよなあ。

猫好きな家に行くと、猫の置物などがいつのまにか増えていて、結構楽しんでいると思わされる。

これだけコンテンツを作っていると、10ページ程の画像を扱う本も、あっという間に作れるように、サイトが構築されている。

(絵本って、文字要らないから、文を描く時間を節約できるわけよ。)

一ページに分けて、次々に進むのか、1ぺージ10枚を展示するという2つの方式で、新作をどんどん発表できるという構造になっているのである。

このペースで更新してゆかないと、もう、二度と出てこない。みたいな世界。

この先、どうなるのか不安だなあ。

やっぱ、一作ごとに、額に入れておかないとバラバラになり、しかも、見つからないということになるぜ。

(額に入れるという作業は、かなり面倒)

それにしても、猫というのは、イロイロなフォルムに変化するもんだねえ。

フジタも猫を何匹も飼っていて、結構作品にも登場するけど、やっぱ、絵の練習になるんだと思う。

絵を描く力というのは、描画の力の他に、映像を記憶する能力や、記憶映像を再現・再構築する力が必要になる。

写真を見ながら絵を描いていると、映像の記録とか、画面の構築という能力が身につかないということなのよ。

それは、立体でも同じことである。

猫を見る・猫を描くというだけでも、映像を記録したり再現したりする訓練になるということだ。

オジャラよ。フジタの猫とは似て非なる作品だろう。

だよねーっ。

あんなに格調高い絵は、一生描けるとも思えない。

でもまあ、これはこれで、大きい紙に小さいカットをいくつも描いた作品にまとめたり、油彩に仕立て直して、もっと高く売ったり出来ると思う。

やっぱ、カラーインクや水彩の作品というのは、アタシにとっては、作品ではなく、習作に過ぎないということだろう。

気になったので、早速猫扱いの店を調べてみる。

猫系画廊は、谷中に2個あることが判明。

谷中かぁ。

近いことは近いけど、ギャラリーで展覧会するほどの点数でもないということだよねー。(猫限定だからね)

なるほどねー。

ポスター額は、あと5個位はあるので、とりあえず、全部に作品を貼り付けて、もう少し猫の絵を作り増し、版画を印刷するという作業が必要だということである。

版画かぁ。

猫版画って、イッパイあったような気がするんだよねーっ。

版がみつかるかどうかという別な問題もある。

何かをしようというのには、エネルギーが必要ということである。

とりあえず、アーティスティックマーケットは、猫系に絞るかなあ。アートフリマの売れ残り品をギャラリーで展示という展開も珍しいけどなあ。

谷中でもお店が成り立つのだったら、千住でも成り立つと思うんだけどなあ。

千住には、そういう気の利いた店がないんだよね。