◆◆◆ 477 ★ 朝のドローイング ◆◆◆

2005.8.28

朝は、「今日のドローイング」的時間。

おおっ。さすがに、継続は力なりという言葉通り、作品は安定してきつつある。

誰にでも作れるといわれればそれまでだが、この筋の作品にも、経験値というのがあるということなのかもしれない。

だいたい、30秒程度で一枚描く訳で、部屋の中に、書いた作品が散らばるワケよ。

風で飛んで、作品が台無しになるということもよくあって、毎朝、乾燥場所がなくなるまで描く。

そんでもって、センタクを干したり、昼飯を食べたり、ところどころ、こっそりと掃除をしたりして、朝が終わるのである。

猫の爪とぎ用の台は、結局オジャラの、乾燥棚と化す。

ある程度乾かして、インクが垂れなくなったあとに、ここに吊るして、一日乾燥させる。

こんな、古いノートの切れ端に描いた絵など、売れるということもないのよね。

まとめて誰か買ってくんないかなあ。

というように、誰も買わない絵を描き続ける精神力というのは、画家にとって必要だと再認識する。

アタシが、何故、この絵を描くのかは解らない。

しかし、ジャスパージョーンズや、クライン、ジョアンミロのような、当時の前衛系のアートを拝見すると、同じ抽象画なのに、他の抽象画とは明らかなる差があるということに気づく。

それが画力であり、作家の力であり、本物の絵ということなのである。

誰にでも描けそうだが、描いてみると描けないということに他ならない。

芸が入っているということである。

アタシの場合、別に、苦労が伴うだけでもなく、作品の方も、日に日に絵が安定してくるのが、自分で理解できるので、まあ、もう少し続けてみるかという程度の話なのだ。

こういう自由な作品を作り重ねるというのは、ある種の決断力を磨く鍛錬である。

どこで作品を完成とするのか。

この絵に、もう一垂らし、インクを垂らすのか、線を描き入れメリハリをつけるのか。それとも、ここで止めにするのか。

作品の完成度との戦いを、一枚一枚、繰り返しているということになる。

沢山植えた朝顔は、毎日咲いてくれる。

今日は赤が多いねとか、紫バッカリだねとか、朝窓を開けるというのが、ささやかな楽しみとなっている。

朝顔は、イロイロな種類を植えたので、小さく毅然と咲く種類や、大きくだらしなく咲く花まで毎日が変化に富んでいる。

どの花も、花には違いない。

とりあえず、咲くには咲いている。

そうして朝が終わると、ショボンとしてしまう。

次の朝には、また新しい花を咲かせる。

そういうのを夏の間繰り返し、種になる。

来年からは、勝手にこぼれた種が自生し、また花を咲かせる。

植物というのは、粘り強い。

朝顔の種など、たった二百円程なのだ。

5袋程買って、多く生えすぎた苗を、近所の方に配ったりもした。

そうして、毎日、抽象絵画的色の配置や、ドローイングのような蔓の混み具合を眺めては、 絵などこの世に必要ないんじゃないかと思ったりもする。

小学校の同級生と会う。

彼は、千住にいくつものビルを持っている資産家で、社長業。

アタシが、アトリエを構えて、画家を目指しているという話をする。

そんでもって、『絵ってさー??』

という話になる。

オ『買ったことある?』

社長『嫌、無い。』

オ『どーして買わないか解る?』

社長『価値がホントにあるのか不安』

というような会話。

アタシは、何人もの社長と、この話を繰り返している。

商売人程、商売以外の高級品を買うのには慎重である。

お店や車もいくつも持っていたって、絵などにまわす金は無いのである。

なるほどねえ。

絵が売れないのは、なんだかよく解ってきた。

お金持ちでも買わないからだよねーっ。