◆◆◆ 470 ★ てぬぐいの大作、カラーインク ◆◆◆

2005.8.17

てぬぐいの大作、「墨絵、菩薩像 8世紀、正倉院」は完成する。

イマイチ「オジャラ顔」となり、採用されない可能性は高い。

やっぱ、平面は被写体に忠実に作ろう。

忠実バージョンの顔だけ追加で添付する。(和紙)

みやげ物の世界というのは奥深い。

国宝だから欲しいとか、そういう人が多いということなんだろうか?

それでも、最初の筆で描いた下絵と比較すると、型を作る方も、まあ、作れそうな柄に完成する。

これはこれで、ある種の技術であり、数を作り進むと、テクが身につくってことなんだと思う。

ガラスの魚の作品や、七枝刀の作品と一緒に、一旦奈良に郵送する。

七枝刀は、細かい柄を入れるのかどうか、随分迷ったが、てぬぐいの作品集を見る限り、細かければ良いというものでもないと思えてくるのである。

シンプルかつ大胆な作品ほど心が動かされ、これがデザインだと理解できる。

売れるかどうかとは、別な場所の話である。

細かい線の塗りに疲れると、カラーインクに戻る。

どーしても、ヌードの絵になっちゃうんだけど、これは、どーしてなんだろうか?

服着た奴を作れよ。みたいなね。

アタシの場合、モード系というか、女性誌系のイラストが得意というか、それしか描けないので、そういう傾向のエージェントに登録したいわけで、その辺の作品を作りたい。

ヌードが挿絵に採用になる日は遠い。

思い浮かぶのは、アンアンの「カラダをキレイにする」特集位。汗。(長いこと買っていません。)

しかも、絵がこんなに太っていたら、読者様激怒に決まっている。

この絵は、パープルのラインなんだけど、WEB加工すると黒く見えてしまい残念。

ガラスペンを使っているのだが、タッチはそんな感じでもなくなっている。

今度は、アメリカ広告の本を見て、一枚描いてみる。

こっ、これはパクリ絵なんっすか?

全く似てないから、大丈夫だろう。

みたいなね。

何かを見ながら描いているのに、同じには描けないというのは、ある種の才能であり、どんな写真を見て作ったとしても、盗用したと思われたり、どの絵を使ったのかというのがバレるということはない。

こんなに似ていないのは、ある意味問題だよなあ。

はぁ。

この前の、派遣会社でのパソコン試験に、文字のトレースというのがあったんだけどさ、余りにもつまらない課題に唖然。

「アタシの場合、文字、手で作っちゃいますから」というと、先方も、「ウン」と頷きながら、求められている能力は、フォントを手で描く能力ではなく、今ある文字をトレースする能力なのだということのようだ。

スキャナーでスキャンして、フォトショで加工しちゃうから、トレースは、どっちにしたって、アタシにはあり得ない作業なんだってば。

左の絵は、今までのどの画材とも違うタッチになり、カラーインクの素晴らしさを体感できる。

これで、3色しか使っていないんだからねえ。

あと、黄緑位入れれば完璧だよねー。

カットもちょっと描いてみる。

パープルが少し強くなりすぎたよなあ。

失敗すると、引き返せない。

それでも、色の配合や、次の色を重ねるタイミング、どの紙に描けばよいのかみたいなのが理解できてくる。

とはいっても、紙が買えないので、額縁屋のオヤジがくれたバラの花を印刷した紙の裏を利用。(本当)

イイ紙だぜ。

でも、昔の紙は酸化しやすくて、周囲は黄ばんでいる。

しかも、退色する可能性大。

CG加工しちゃうから、大丈夫なんだけどね。

カラーインクというのは、儚さとの戦いということのようだ。

雑誌のカットと同じくらいに儚いということなんだろう。

そうして、この、バラが描かれた紙も残り少なくなってきて、生きるというのは大変だと思わされるのである。